今回は、『本当の中国 日本人が知らない思考と行動原理』(著:近藤大輔)を読みました。これは非常に面白い本でした。やはり中国と日本というのは地理的にも近く、同じ漢字を使い、儒教も中国から伝わってきて、お米を食べ、箸を使うというように、一見似ている部分が多いです。多くの文化が中国から影響を受けていますし顔つきも近いため「似ている」と感じてしまいます。しかし、似ているという前提で物事を考えるからこそ、「なんでこんなに違うんだ」と驚いたり、時には怒ったりして、コミュニケーションがうまくいかなくなる。しかし本書では、そうではなく「全く違う、真逆の運命を歩んできた二国」だということを理解することが大切だと説いています。常識がこんなに違うのはなぜか――その背景を理解しておくことで、コミュニケーションがずっとしやすくなるのではないか。そういう意図の本だと思います。著者の近藤さんは、北京大学に留学した経験から始まり、実際に中国で会社を経営し、現地の人を従業員として雇いながら運営していた経験を持つ方です。そのうえで長年にわたって中国をウォッチしてきた人なので、言葉に信憑性があり、非常に納得感のある内容になっています。ただ1点気になったのは、若干悪く書きすぎてる印象があるなーと思ったところです。僕はこれまで主に仕事で色々な中国人の方と関わってきましたが、みんなすごくいい人たちでした。仕事もでき優秀だし、コミュニケーションもしやすく日本の文化にもある程度合わせてくれとてもやりやすいと感じました。もちろん多少のカルチャーの違いを感じる時もあるものの、それは他の外国人同様、国が違えば多少違うよねくらいの感じの差でそこまで大きなものは感じなかったので、やや過剰に書かれているような違和感を覚えました。とはいえ、僕は中国に住んだことは無いので現地での経験豊富なこの著者とはみてる世界が違うのかも知れません。また、この著者自身、中国人は14億人もいるので一言でまとめることはそもそもできない、というようなことをYoutubeで解説もしてたので、おっしゃる通りひとまとめにはできないのでしょう。では、読んでみて特に印象に残った部分をいくつか紹介していきたいと思います。島国と大陸まず、なぜこんなに日本と中国が違うのかについて、「島国」か「大陸」かという点が大きいと書いています。日本は島国であり、海に守られてきたことで、長い歴史の中で比較的平和に、ほとんど攻め込まれることはなく、のほほんと暮らしてきました。一方、中国はというと、何度も「支配したり、支配されたり」を繰り返し、常に争いの中で生きてきた歴史を持っています。今は漢民族が支配する国家という形になっていますが、中国4000年と言っても、実はその歴史の中で他民族に支配されていた期間は1000年以上にも及ぶそうです。つまり、中国は「常に戦い続けてきた国」であり、「明日何が起こるかわからない」というハイリスクな社会を前提に生きてきた国だということです。この「明日がわからない」という感覚が、中国人の行動や思考の根底にあるため、長期的な計画を立てたり、細部にこだわって議論を詰めたりする日本人の感覚とは、そもそも相いれない部分がある。この点が非常に興味深いところだと感じました。細かいアポを入れたがる日本人たとえばこの著者が中国に住んでいた時、日本からの日本人が中国出張をする際にアポの調整を依頼されることがよくあったそうです。その際に日本人は、「せっかく行くのだから、午前中に2件、午後に3件はアポイントを入れたい」のように言うと。でも著者としては、いやいやいや、そんなの無理でしょ、と。中国では当日の朝になってから予定が変わったり、10時からのミーティング設定していたのに急にキャンセルになったり、時間がずれたりするのは日常茶飯事。そういう「その日その日を生きる」文化の中で、日本人のように「半年先の予定をきっちり入れる」という感覚がうまく噛み合うはずもない――そういう現場のリアリティが描かれています。大きいものは良いこと次に印象的だったのは、「大きいことは良いことだ」という中国の文化的価値観です。大きさへの憧れがあるというのです。やはり大陸という広大な土地に生きているため、自然とスケール感が日本とはまったく違う。この本では、中国人には「アメリカとロシア以外の国はすべて格下である」という感覚があると書かれています。(全員がそうだとは思わないですが...)たとえば中国政府やメディアはアメリカを批判することが多いものの、実際には幹部の子どもをアメリカに留学させるなど、アメリカへの強い憧れを持っているそうです。また、隣国のロシアについても、習近平政権は一定の敬意を示しており、その理由として挙げられているのが「大きさ」です。ロシアの経済規模や人口は現在では中国の約1割にすぎませんが、それでも国土は中国の約1.8倍もあり、さらに核兵器の保有数は中国の約10倍もある。こうした「圧倒的なスケール感」そのものが、ロシアを中国にとっての“憧れの対象”にしているのだといいます。このあたりの主張はやや極端ではありますが、とても興味深い内容でした。一方で、中国が日本を指すときに使う蔑称として「小日本(シャオ・リーベン)」というそうです。ちっぽけな日本、的な意味だそう。筆者が小さいことを気になってコメントしたりすると小日本と言われたりしたそうです。プレゼンの際に大局的なビジョンのみを伝える中国と、重箱の隅から説明し出す日本がなかなかうまくいかないところはこの辺にありそうです。声の大きさの重要性また、中国人は物理的に「声が大きい」という印象を持っている人も多いかもしれません。実際にこの本でもその点に触れられており、なぜ中国人の声が大きいのか、その理由を明確に説明していてとても面白かったです。その理由は、まず、広々とした大陸で暮らしているため、自然と声を張り上げないと届かない環境にあること。そして、「声が大きい者が勝つ」という風土。さらに、学校教育の段階から「大きな声を出すことが良いことだ」と教えられていること。加えて、周囲の他人をあまり気にしないという気質――。これらが合わさって、「声が大きい文化」が形成されているのだといいます。非常に興味深い分析ですよね。また、著者自身が体験したエピソードとして、交通事故の話が紹介されていました。著者はある日歩いていたら、バイクと衝突して怪我をし、立ち上がれない状態になったそうです。ところが、そのバイクの運転手が大声で「お前のせいで俺のミラーが曲がったじゃないか!」と怒鳴り出した。結果的に警察が呼ばれたものの、著者はなんと「車に轢かれた被害者であるにもかかわらず罰金を払う羽目に」なったというのです。その出来事をきっかけに、著者は「自分も負けじと大きな声で話すように心がけるようになった」そうで、それ以降は似たようなトラブルに遭わなくなったとのこと。本当に恐ろしい話ですが、同時に「声の大きさが正義」という社会のリアリティがよくわかるエピソードでした。勝てば官軍もう一つ印象的だったのは、中国社会が圧倒的な「競争社会」であり、「勝てば官軍」の世界であるという点です。人々はみな、多少大げさなくらいにアピールする強さを持っていて、それは日本人にはなかなか真似できない部分だと感じました。トップ総取りで負け犬にフォローもなし。それが故に、勝たないと意味がないので、例えば大学入試などでもカンニングは横行していると。東京オリンピックでも中国の競泳選手の23人からドーピングの陽性反応があったそうです。中国では金メダルは富や権力が保障されたようなものだが、銀や銅ではメダルなしと変わらない。2位ではダメなカルチャーだと。お金で考えるまた、思想的には「性善説よりも性悪説」だし、「基本的にはお金を基準に物事を考える」という価値観だと著者は述べています。毛沢東の社会主義の頃のみ例外で、そのあと鄧小平(とうしょうへい)がそれを戻したと言っていて、鄧小平はこう言ったそうです。「民主化を求める運動はやめなさい。その代わり金持ちになる自由を与えよう。富めるものから先にどんどん富んでいきなさい。」すごいセリフだ。。この先富論というメッセージにより、アリババやテンセント、バイドゥ、BYDなどが生まれたそうです。また、お金にまつわる象徴的なエピソードとして、著者は街で見かけた光景を紹介しています。小さな子どもが転んだとき、父親がその子に向かってこう言うことがよくあったそうです。「転んだら、金を拾ってから起きろ」恐ろしいカルチャーですが、どこか中国社会の競争原理を象徴しているようにも思えます。主語がないと成り立たないさらに興味深かったのが、「中国語は主語がないと成り立たない言語である」という話です。日本人がプレゼンで「先日本社において〜ということに決まりました」のような言い方をすることはよくあります。主語が省略されているのです。(というより、日本の場合はそもそも明確な決定者が存在しない。。)しかし中国語は主語がないと翻訳できないので、通訳はしかたなく「私たちは〜を決定しました」と訳すしかありません。すると中国側は「私たちとは誰のことですか? 社長ですか? 取締役のあなたですか?」と具体的に聞いてくるそうです。それに対して日本人は怪訝そうな顔になり、「本社の会議で決まったのです」と答える。結果として、「こいつら話が通じないな」とお互いが疑心暗鬼になっていく――。こうしたやり取りが実際にあるといいます。つまり、中国人は「自分が、自分が」と主語を明確にすることを重視するのに対して、日本は「みんなで決める」「空気で合意する」という文化。ここが根本的に違うわけです。確かに、私自身も日本社会はもう少し「責任者」や「決定者」をもっと明確にしても良いのではないかと感じることがあります。もっと権限以上しバンバン決定できる組織にしてスピード感を出したいところ。なので中国のこのスピード感には羨ましさもある。とはいえ、この本を読んでいると、「中国のやり方が本当に良いのか?」という疑問も湧いてきます。(この本がすべて真実かどうかはもちろんわからないですし、そうじゃない人も大勢いるとは思いますが。なんせ14億人もいるので。)トップの人しか「考えない」構造著者によれば、中国の組織は基本的に「トップの人しか考えない」構造が多く、周りはトップが決めたことに従うだけ。他の人は「言われたことだけをやる」文化だというのです。この著者がアリババの創業者ジャック・マーへのインタビューした際に、「1万人もの社員をどうやってマネジメントしているのですか?」と尋ねたところ、ジャック・マーはこう答えたそうです。「会社の運営は就業規則を作らないことだ。嫌なら辞めろ。いるなら従え。」なんとも極端な言葉ですが、これがまさに中国的経営スタイルの象徴のようです。この著者も会社を経営する際に、全体会議など辞めてしまい、全部自分で決定し、賞罰を明確にすることでマネジメントしていったそうです。日本のように「会社への帰属意識」や「愛社精神」といった価値観がほとんど存在しない。それが良いか悪いかは別として、根本的に考え方が違うということを改めて感じさせられました。JTC、ジャパニーズ トラディショナル カンパニーと揶揄される日本の企業と比較すると、JTC的なカルチャーにはうんざりするところも実際ありましたが、この本を読むとそれはそれで日本の良いところもたくさんあるかもなーと思います。僕はITベンチャー的なところでばかり働いてきたため、JTCよりはもっとポンポン決定できたり、柔軟に進められたと思います。しかしそれでも愛社精神はあったし、チームワークもあった。そう言う意味で、日本企業だったんだなーと改めて思ったりしました。「我」の上にすぐ国家がある。中国では地域社会との関わりが希薄であり、地域が一致団結するようなイベントは少ないようです。日本であれば、個人の次にまず家族があって、その周囲に勤めている会社や地域社会がある。しかし、中国の場合は「我の上にすぐ国家が来る」というのです。これは興味深い話。つまり、イチ個人のすぐ上が習近平ということ。結果、中国人の愛国心はおしなべて高い、と書かれている。「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートに対し、「戦う」 と答えた中国人は71%に対し、日本人は11%だったそう。なるほど、、、!20世紀の旅、日本中国人向けの、旅行代理店が用意した日本旅行スケジュールにこんなセリフが書かれていた。「20世紀を懐かしむ旅を、日本でどうぞお楽しみください!」つまり、こういうことだ。日本を旅行するとなると現金が必要。中国人にとって現金なんてもう見ることはないもの。でも小銭が必要なら財布も買わなきゃ、、、でも中国にはもう財布は売っていない。それ自体がもう懐かしさを感じさせる癒しの旅なのだ。コンビニに紙の新聞や雑誌が置いてあったり、路上で手を挙げてタクシーを止めたり、そんな姿を見て「20世紀」を感じ、その懐かしい心地よさを楽しみにきているのだと。実際、IT系の我々からすると一体いつまで現金があるのか、、、とも思ってきたが、ここまで差が開いてしまうことになるとは、、、時の流れは早いものだ。これは「京都の人ってなんであんな感じなんですか?」で高野秀明さんが言っていたことだが、日本自体が古都なのだ。日本人が京都の人に、京都の人ってあんな感じだよね〜って思うのと同様、世界がもう日本をあんな感じだよね〜って思っていると。でもその上で高野さんは、古都で良いのだ、と。むしろ変にグローバルに合わせに行く必要なく、そのままで自分たち日本の古き良き古都の魅力を維持した方が面白いのではないか、と。僕もだんだんそう思ってきた笑