今回は『京都の人ってなんであんな感じなんですか?』という本を読んでみました。この本は構成的には、前半で京都の人の「いけず」な感じというか、京都の人が世界の中心に住んでいるように思っているようなところを、ちょっと小バカにするような感じで話しながら、その後半で京都の魅力、京都の街の魅力をどんどん描いていくという構成になっています。ちょっと面白かったので書いていきたいと思います。京都の人のあんな感じについて著者が京都に初めて行ったとき、なんて田舎なんだ、と思ったそうです。例えばバスに乗るために現金が必要。しかも釣り銭が出ないため、あらかじめ両替していないと乗れない。それを見て「なんて田舎なんだ」と思ったが、逆に京都側は「そんなことも知らないのか」という感じで、まるで自分たちが世界の常識だと信じきっているようなスタンスであったと書かれています。後年、著者がフランスのパリに訪れたときに「パリこそは京都のグローバル版だ」と感じたそうです。パリも自分たちは世界の中心に住んでいると感じている人が多い、と。興味深い。京都では「上京」という言葉はタブーで、「東京なんか上がるところじゃなくて下がるところやろ」と叱られる。今まで意識したことなかったけど、たしかに!京にのぼるって書くのになんで京都から遠ざかるのか!面白い。また、江戸時代から「三都比較論」と言われ、江戸ではどうだ、京ではどうだ、大阪はどうだというふうに比較をしていたそうです。でも、京都の人は三つを比較するという発想が実に非京都的なもので、京都人はそういうことを一切やらない。初めから大阪や江戸が京都と比較の対象にならないと言っている。京都は1200年の蓄積があり、初めから比較にならないと。あとは、よく聞く話ですが、例えば近所で子どもがピアノ練習をしていると、近所の人から「えらい上手にならはったな」と言われる。これはピアノの上達を褒めているのではなく、音がうるさいというクレームを遠回しに言う「いけず」の一つだと。しかし、この著者が言うには「京都人のいけずはそんなに特殊なものではなく、日本人の嫌なところが凝縮されているだけではないか」と。婉曲的で上品な言い方に見せかけて相手に皮肉を言ったりするのは、言うまでもなく京都人の専売特許ではなく、日本のいろんな地域やコミュニケーションで出現する“妖怪”のような存在だと。これもちょっと面白い話でした。確かに、日本全土、そう言う風潮がありちょっとめんどくさいですよね。それの大元が京都なのかと思うと簡単に否定もできない気がしました。我々の師匠のようなものですよね。また、著者は大阪の人ですが、京都の人は明らかに大阪の人を見下したりしているそうです。「そんなに京都と大阪で差があったのか」と、何も考えてこなかった青森県民も、京都の人のことを改めて学ぶ機会になりました。著者は京都の大学に進学して京都に住んでいたそうですが、この人は大阪弁で京都で話すことに難しさを感じていたため、「標準語で話す」ことに決めて標準語で話すようになったそうです。逆に京都の人も若い人は敬語で話す場合、京言葉の敬語ではなく標準語の敬語で話すのが普通になっているそうです。なるほど、と思いました。標準語で話すということに落ち着く」というこのカルチャーの変化は面白いですね。後半の京都の魅力解説パートとても詳しく京都のおすすめポイントを書いてます。〇〇時代が好きな人におすすめ、など多様な切り口で京都に行って訪れるべきポイントをおすすめしてくれています。しかも、すべて著者が自分で調べ自分で足を運んで体験して書いています。膨大な時間をかけて作られていますね。すごい。ただ僕が京都についての予備知識がないため難しく、読み飛ばしちゃったところも多くありました。今度京都に行く際には改めてこの本を読み直し、参考にして観光先を決めたいと思いました。日本こそ辺境の地なんと、この本の最後に僕の尊敬する高野秀行さんが出てきました。高野秀行さんは世界中を飛び回っている人で、アジアやアフリカ、南米の辺境の地ばかりを30年以上旅してきた人。欧米も含めて60カ国以上訪れている人です。その人が感じるのは「日本こそ辺境の地だ」ということだそうです。これは面白い、興味深い話ですよね。高野さん曰く、ここ10年の日本の沈没ぶりは目を覆わんばかり。どの国から戻ってきても、成田や羽田ほどパッとしない国際空港は珍しいと言っています。まるで田舎の終着駅に着いたような感じ。デジタル化も極度に遅れていて、帰国するたびに「まだ現金で払っているのか」と思ってしまう。これは面白いですよね。もちろん僕もそう思いますが、高野さんが言うのは意味が違う気がします。コンゴ共和国のジャングルの奥地、ソマリア、アヘン製造を行うワ州、エチオピアの奥地の酒を主食とする民族の村など、普通の人がいけないような真の辺境の地ばかりに行っている高野さんが「日本が極度に遅れている」と表現するのは興味深いです。中国や韓国のインバウンドが来日するのは、厳しい競争社会から一時的に逃れ、急速な開発と都市化で失われた自然や微笑み、昔ながらの生活に触れたいから、だと。まさに昔の日本人が経済発展で失った後進性を求めてアジアやアフリカを旅したように、と。世界の古都、日本へさらに高野さんは「日本の立ち位置は今後どうしたらいいか」ということにも言及しています。政治も経済も先端技術を持ち込んだ日本は、今や世界の古都です。なのでその価値は歴史、食文化、景観。そこかしこに神社、仏閣や古民家が立ち、自然は豊か。こんな多様で洗練され質の高い料理がどこでも食べられる国は他にない。気位が高く、己こそスタンダードだと誤解し、よそ者を表向きにしか受け入れない。そんなところも“古都っぽい”と述べています。それが我々の向かう道なのかなと。日本自体が世界の古都である。ならば京都が日本全体に示す態度というものがありそうだ。そんなふうに書かれていました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて時代は二度と戻ってこないが、それでいい。それがいい。世界の目と自画像のずれに気づくことが日本にとって大事。そこが出発点だと締めくくっていました。さすが高野さんですね。辺境の地ばかり巡ってきた高野さんの言葉は含蓄があります。僕も「変にグローバルスタンダードに向かいすぎず、自分たちの古き良きものを維持するのも大事なのかもしれない」と思いました。もちろんバランスも大事。温故知新、ですかね。