今回は、ルトガー・ブレグマンさんの『ヒューマンカインド 希望の歴史』上下巻を読みました。
一言でいうと、この本は「人間の本質は善である」ということを、いろいろな歴史や研究のエピソードを通して証明しようとしている本です。
先に僕の感想の結論です。
「時々は騙されるという事実を受け入れた方がはるかに良い。なぜなら、それは他人を信じるという人生の贅沢を味わうための小さな代償だからだ」
この一文に心奪われました。素晴らしい一節だと思います。以下気になったところをメモしていきます。上記一説の解説は最後の方に書いてます。
空爆は人の心を折るのか
最初の方で出てくる、第二次世界大戦中の空爆の話がとても印象に残りました。
当時、ドイツ軍がイギリスを空爆していました。
それに対して、イギリス側は「イギリス人だから耐えられているが、ドイツ人ならきっと耐えられないだろう」と考えたそうです。
つまり、イギリス人が空爆によってどれほど苦しんでいるかを調査し、そのデータをもとに、今度はドイツに空爆を仕掛けようとしたわけです。
ところが、実際にイギリスの現地を調査してみると、予想とはかなり違った結果が出ました。
人々は空爆によって思ったほどメンタルをやられていなかった。むしろ、空襲のあとに活力が湧いてきたと語る人すらいたそうです。
「空襲を受けたあと、葉巻に火をつけた」
「まるで戦争に勝った側のようだった」
そんな話も出てきます。
これは、以前読んだ『戦争における人殺しの心理学』にも近い話が書かれていました。
人は空襲を受けることよりも、戦場に行って人を殺すことを強要される方が、はるかにメンタルを壊される。戦場に行った人間の多くが、深い心の傷を負って帰ってくるという話です。
つまり、空爆によって市民の心を折るという発想は、思ったほど効果がなかった。
にもかかわらず、当時の調査部隊は「そんなはずはない」と考えます。
イギリス人は空爆によって大きなダメージを受けている。だからドイツにも同じことをすれば戦争に勝てる。そういう報告をしたそうです。
しかし、結果は逆でした。
ドイツに空爆を行ったところ、ドイツの戦時経済はむしろ強化され、戦争は長引いた。
1940年から1944年にかけて、ドイツの戦車の生産性は9倍になり、戦闘機の生産量は14倍になったと書かれています。
その後、アメリカの調査部隊がドイツを訪れ、戦略的空爆が本当に効果があったのかを調べたところ、「効果はなかった」という結論に達したそうです。
にもかかわらず、その25年後、アメリカはベトナムに、第二次世界大戦で投下した爆弾の3倍にあたる爆弾を投下し、さらに大規模な失敗を招いたと書かれていました。
衝撃的な話、、、
現代今まさに起こっている現代の戦争でもこれは全く変わっていない気がします。。
証拠が明白にあっても、人間はそれを見ない。
自分たちが信じたい物語に合わないデータは、どうにかして否定しようとする。
この本の最初の章で、いきなりそういう人間の性質が描かれていました。
プラシーボ効果|コカ・コーラの話
プラシーボ効果、ノセボ効果の話も面白かったです。
ベルギーで、小学生たちが急に具合が悪くなる事件がありました。
原因を調べると、共通していたのがコカ・コーラだった。そこから、ベルギーだけでなくフランスにまで、コカ・コーラを飲んで具合が悪くなる人が増えていったそうです。
結果として、コカ・コーラは2億ドルものコストをかけて清涼飲料水を店から回収し、廃棄した。
ところが、その後の調査で、研究者たちはコーラの中に何も見つけられませんでした。
毒物は入っていなかった。問題となる成分もなかった。
つまり、これはノセボ効果だったと結論づけられたそうです。
「これは危ないものだ」と信じることで、本当に体調が悪くなる。
しかも、それが隣の国にまで広がっていく。
これはかなり衝撃的でした。
人間は、現実そのものを見ているようで、実際には「現実の語られ方」や「思い込み」によって、身体の反応まで変わってしまう。
暴力が減ると暴力の記事が増える
これはニュースの話にもつながります。
ある研究では、移民や暴力の問題の数が減ると、移民や暴力に関する記事が増えるというパターンが見つかったそうです。
つまり、ニュースと現実の間には相関がないどころか、むしろ負の相関があるようだと。
これも非常に興味深い話です。
例えば、暴力の件数が減っているなら、本来は世界は少し良くなっているはずです。
でも、暴力に関するニュースが増えると、私たちは「世界はどんどん悪くなっている」と感じてしまう。
実際のデータでは良くなっている。
でも、私たちの体感では悪くなっている。
このズレは、かなり大きいと思います。
私たちは、世界そのものを見ているのではなく、メディアによって強調された世界を見ている。
そして、その強調された世界を見て、「人間は悪い」「世の中は悪くなっている」と思い込んでしまう。
この本が言いたいことの一つは、まさにここにあるのだと思いました。
なぜ人間だけが赤面するのか
ダーウィンの話も印象に残りました。
ダーウィンによると、赤面はあらゆる表現の中でも最も独特で、最も人間らしいものだそうです。
人間は、動物の中で唯一、赤面する種です。
これは考えてみると不思議です。
もし人間がただ厚かましく、ずる賢く、他人を騙して得をするだけの存在なら、なぜ赤面という能力が進化の中で残ったのか。
ポーカーフェイスを保てた方が、人を騙すには有利なはずです。
自分の恥ずかしさや後ろめたさが顔に出ない方が、ずっと都合がいい。
それなのに、人間は赤面する。
これは、人間が完全に厚かましいだけの存在ではないことを示しているのではないか。
人間には、自分の恥や後ろめたさを隠しきれない性質がある。つまり、誠実さのサインのようなものが備わっている。
この話は、かなり象徴的でした。
人間は本当に利己的で、騙し合うだけの存在なのか。
もしそうなら、なぜ私たちは赤面するのか。
こういう問いを立てられると、人間観が少し揺さぶられます。
人間の強さは、天才性ではなく模倣とつながりにある
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いについての話も面白かったです。
そこでは、天才族と模倣族の例えが出てきます。
ある惑星に、天才族と模倣族という二つの種族がいたとします。
天才族は非常に賢く、10人に1人が一生のうちに驚くような発明をする。例えば釣り竿を発明する。
一方、模倣族はそこまで賢くないので、釣り竿を発明できるのは1000人に1人しかいない。
この時点では、天才族の方が100倍賢いことになります。
しかし、天才族には問題がある。
社会性に欠けているのです。
釣り竿を発明した天才族には、それを教えられる友人が平均で1人しかいない。
一方、模倣族は10倍社交的で、1人あたり平均10人の友達がいる。
さらに、人に釣りを教えるのは難しいので、教えたとしても半分の人にしか伝わらないとします。
そうすると、どうなるか。
天才族では、釣りのやり方を覚えるのはごく一部にとどまる。
一方、模倣族では、発明できる人は1000人に1人しかいないにもかかわらず、最終的にはほとんど全員が釣りをできるようになる。
なぜなら、他の模倣族から学ぶからです。
ここは非常に面白かったです。
人間の強さは、一人ひとりの天才性ではない。
むしろ、他人から学ぶ力、真似する力、共有する力、友達になる力にある。
「友達が多いほど人は賢くなる」という表現が、とても印象に残りました。
これは、コミュニティの重要性をすごく感じさせます。
人類は、個人の能力だけで発展してきたのではない。
人との相互補助、知識の共有、模倣の積み重ねによって発展してきた。
そう考えると、友達になる能力や、他人と協力する能力は、単なるおまけではありません。
人類の中核的な能力なのだと思います。
イースター島は本当に人間の愚かさで滅びたのか
イースター島のエピソードも興味深かったです。
一般的によく語られてきたイースター島の話は、こんな内容です。
かつてイースター島には1万5000人ほどの人々が住んでいた。
彼らはモアイ像を作り続け、モアイのサイズはどんどん大きくなっていった。
そのために大量の労働力、食料、木材が必要になった。
木はどんどん切り倒され、やがて島から木がなくなった。
土壌は侵食され、農業は停滞し、飢餓が島民を襲った。
そして内戦が起こり、島民同士が殺し合い、人肉を食べるようになり、社会は崩壊した。
要するに、人間の欲望と愚かさによって島は滅びたという物語です。
でも、この本では、その話は事実ではないと書かれています。
実際には、イースター島の人々は非常に平和的で、内戦も特に起こっていなかった。
最後の木がなくなった時、島民たちは農業を見直し、新しい技術を開発し、収穫を大幅に増やした。
つまり、彼らは困難に直面して自滅したのではなく、工夫して乗り越えていた。
にもかかわらず、「人間は愚かだから自滅する」という物語の方が広まりやすかった。
ここも、この本のテーマにかなり合っていると思いました。
私たちは、人間が愚かさによって滅びる物語を信じたがる。
でも実際には、人間は困難に直面した時、協力し、工夫し、適応してきたのかもしれない。
人間をどう見るかによって、同じ歴史の見え方がまったく変わってしまうのだと思いました。
友情は善にも悪にもなる
ただ、この本は単純に「人間は善い存在です」とだけ言っているわけではありません。
そこが面白いところです。
ナチスの軍隊についてのエピソードが出てきます。
当時のドイツ軍は非常に強かった。
連合軍の兵士に比べて負傷者が50%も多く、それだけ懸命に戦っていたということが書かれていました。
では、なぜ彼らはそこまで強かったのか。
最初は、ナチスのイデオロギーに洗脳されていたからだと考えられていたそうです。
しかし、実際にはそうではなかった。
彼らが戦っていた理由は、イデオロギーではなく友情だった。
仲間を守るため、友を守るために戦っていた。
これは認めたくない事実かもしれません。
史上最悪の虐殺を支えたものの一つが、友情だった。
仲間を大切にする気持ちだった。
ここはかなり重い話です。
友情や仲間意識は、普通に考えれば良いものです。
でも、その友情が閉じた集団の中だけに向かうと、外側の人間に対する暴力を支える力にもなってしまう。
人間の善性は、常に良い方向に働くわけではない。
近くの人を守る力が、遠くの人を傷つける力になることもある。
この本の人間観は、単なるきれいごとではないと感じました。
共感は必ずしも良いことではない
共感についての話も、非常に面白かったです。
「私は共感は良いことだとは思わない」と言った人がいるそうです。
共感というと、普通は良いことだと思います。人の気持ちがわかること。相手の立場に立てること。それは人間にとって大事な能力のように感じます。
でも、この本では、共感はスポットライトのようなものだと説明されています。
特定の人に光を当てる。
その人に共感する。
その人の苦しみを自分のことのように感じる。
しかし、100人、1000人、1万人、1億人、70億人の立場に同時に立つことはできません。
それは誰にも不可能です。
すると、どうなるか。
特定の犠牲者に共感すればするほど、その人を苦しめた敵を、ひとまとめに「敵」として見るようになる。
選ばれた少数に明るいスポットライトを当てることで、その他大勢は視野に入らなくなる。
これはかなり考えさせられました。
共感は悪いものではない。
でも、共感には限界がある。
近くの人、見えている人、物語の中で被害者として描かれた人には強く働く。
一方で、その外側にいる人を見えなくしてしまう。
友情も共感も、良いものに見える。
でも、それが狭い範囲にだけ向かうと、外側の人への攻撃性を高めてしまうことがある。
人間は善である。
ただし、その善は万能ではない。
この視点は、すごく大事だと思いました。
マネージャーは本当にアイデアを持っているのか
少し文脈は変わりますが、資本主義や組織の話の中で、「マネジメントをしないマネージャー」という項目も印象に残りました。
現場で働く人たちは戦略的に考えることができない。
ビジョンに欠ける。
だからマネージャーが考え、計画を立て、現場に指示を出す必要がある。
多くのマネージャーは、そう考えている。
でも、本当は現場の人たちはアイデアに溢れている。
彼らは千のアイデアを思いつく。
しかし、マネージャーは耳を貸さない。
なぜなら、マネージャーは「自分が働きバチのためのプランをひねり出すのが役目だ」と思っているからです。
本の中には、かなり強い表現もありました。
マネージャーはほとんどアイデアを持っていない。
彼らがマネージャーになれたのは、会社のシステムに適合し、秩序に従ったからだ。先見の明があったからではない。
それなのに、リーダーシップ研修のようなものを受けて、自分たちはゲームチェンジャーで革新的だと思い込んでいる。
これは、かなり刺さりました。
私自身も、自分でマネジメントをしている立場です。
そして正直、私は自分にアイデアがあるとは全く思っていません。
むしろ、アイデアがあるのは現場の人たちだと思っています。
実際に手を動かしている人、クライアントと向き合っている人、細かい課題にぶつかっている人の方が、具体的な改善アイデアを持っている。
マネージャーは何かを生み出す能力者では全く無い。
ただ組織や仕組みに適合しただけ。
もちろん、それも必要だと思います。
適合できる人がいないと、組織は回りません。
ただ、マネージャーが「自分が考える人で、現場は実行する人」と思い込むと、現場のアイデアは死んでしまう。
マネージャーの仕事は、アイデアを出すことではなく、現場のアイデアが出てきやすい環境を作るか、どうそのアイデアを活かせるか、なのではないか。
そう考えさせられました。
いじめは人間の本性なのか、それとも環境の問題なのか
次は教育システムの話。
昔の子供たちは、ほとんどが自分で歩いて学校に行っていた。
子供だけで自由に遊ぶ時間も多かった。
しかし、だんだん親が送り迎えをするようになり、子供の自由度は減っていきました。
親といる時間は増え、子供だけで自由に遊ぶ時間はどんどん減っている。
その流れの中で、いじめの話が出てきます。
一般的には、「人間が集まると一定確率でいじめは発生するものだ」と考えられがちです。
でも、この本では、いじめは人間の本性として自然発生するものではなく、発生しやすい条件があると書かれています。
その条件は、たとえば次のようなものです。
全員が同じ場所にいて、ただ一つの権威の支配下にある。
すべての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む。
活動のスケジュールが、多くの場合1時間ごとに厳格に決められている。
権威者によって課される、明確で形式ばったルールのシステムがある。
そして、その究極の例は刑務所だと書かれています。
刑務所にはいじめがはびこっている。
そして、学校もまた、そういう全制的な施設に近い面がある。
だから、学校でもいじめが発生しやすくなる。
逆に、壁を取り払い、学年も取り払い、先生が上から管理する教育者というより、コーチやアドバイザーのような立場になり、子供たちが自由に教え合うような環境では、いじめが起こりにくいというデータがあるそうです。
これは本当に興味深い話でした。
人間が悪いからいじめが起きるのではない。
人間が悪く振る舞いやすい環境を作っているから、いじめが起きるのではないか。
これは学校だけでなく、会社や組織にも通じる話だと思います。
そういう学校を作ってみたいなと思いました。
もちろん、実際にやるとなると簡単ではないと思います。
でも、すごく魅力的な考え方です。
ノルウェーの刑務所はなぜ「リゾート」のようなのか
ノルウェーの刑務所の話も印象的でした。
ノルウェーの刑務所では、犯罪者と監視する側の区別がわからないくらい、自由で人間的な環境があるそうです。
中には、リゾートのような刑務所と表現される場所もあります。
ショッピングができる。
専用の浴槽がある。
自分で調理できるキッチンがある。
図書館がある。
フリークライミングの壁がある。
音楽スタジオがあり、希望すれば音楽のレコーディングもできる。
映画館
日焼けサロン
スキー場
教会
普通に考えると、「犯罪者にそんな自由を与えていいのか」と思います。
日焼けサロンはやりすぎでしょ、、、どう考えても!
そして、被害者の気持ちを考えたら、納得できない人もいると思います。
僕も被害者ならば、もっと辛辣で耐え難い厳しい罰を与えたい、、、と思ってしまいます。
それは当然です。
でも、この本で語られている思想は、かなり現実的でもあります。
厳しく抑圧された刑務所に入れると、人はさらに犯罪者的な存在になってしまう。
刑務所の中でいじめや暴力があり、人間性が壊される。
そして刑期を終えて社会に戻った時、また犯罪をしてしまう。
それでは、社会にとっても危険です。
刑務所にいる人たちは、いつか社会に戻ってきます。
毎年、刑期を終えて出てくる人たちがいる。
その人たちが、高い再犯率のまま自分たちの隣人になるのと、再犯率が低い状態で戻ってくるのと、どちらがいいのか。
そう考えると、これは単なるきれいごとではありません。
むしろ、かなり現実的な考え方なのかもしれません。
本の中では、こうしたやり方によって、通常の受刑者よりも再犯率が約50%も低かったという話が出てきます。
それが本当なら、前代未聞の数字です。
もちろん、本当にそこまで自由な刑務所が必要なのか、私にはわかりません。
でも、「人間は悪い存在だから厳しく罰するしかない」と考えるのと、「人間は環境によって変わる存在だから、人間性を回復できる環境を作る」と考えるのでは、制度の作り方がまったく変わるのだと思いました。
マンデラは人を信じた
ネルソン・マンデラの話も印象に残りました。
あるジャーナリストによると、マンデラは「100人のうち99人が救いようがないとみなす人間にも、善性を見いだそうとする人」だったそうです。
マンデラの欠点を挙げるとすれば何か、と尋ねられた人がいました。
その人は、「人を信じると、すっかり心を許してしまうことだ」と答えたそうです。
でも、そのあとにこう続けます。
「でも多分、それは欠点じゃない」
僕も人をもっと信じようと思います。
「他人を信じるという人生の贅沢」を味わうための小さな代償|時々騙されることを受け入れる
この本の最後の方、エピローグに書かれていたことが、著者の結論なのだと思いました。僕もこのエピソードが一番影響を受けました。名言です。
人間の善性を信じろと言われたら、当然こう思うと思います:
「でも、騙されることもあるじゃないか」
それはその通りです。
でも、この本の結論は、
「時々は騙されるという事実を受け入れた方がはるかに良い」
というものです。
なぜなら、それは「他人を信じるという人生の贅沢」を味わうための小さな代償だからです。
ここが、この本のすべてなのだと思いました。
完全に安全な人生を目指せば、人を疑い続けることになります。
騙されないように、裏切られないように、損をしないように、常に防御しながら生きることになる。
でも、その人生は本当に豊かなのか。
多少騙されることがあっても、人を信じる。
その方が、人生は豊かになる。
そして、そういう態度が広がることで、世界も少し良くなる。
これは、とても大きなメッセージだと思いました。
自分がしてほしいことを、人にしてはいけない
最後の方で、黄金律の話も出てきます。
世界史上、ほぼすべての哲学や宗教に共通する黄金律があります。
「自分がされたくないことを、人にしてはいけない」
これは、孔子、ギリシャの歴史家ヘロドトス、プラトン、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など、さまざまな思想に組み込まれているそうです。
そう言われると、たしかにすごいことです。
人類が長い歴史の中で共有してきた、とても基本的な倫理なのだと思います。
ただ、この本ではさらに一歩進んで、
「自分がしてもらいたいと思うことを、他人にしてはいけない」
とも言っています。
これも面白いです。
なぜなら、その人の好みが自分と同じとは限らないからです。
「共感」よりも、「思いやり」を育てる
最後に、共感と思いやりの違いについても書かれていました。
この違いは少し難しいですが、私なりにはこう理解しました。
共感は、その人の気持ちになること。
思いやりは、その人のために何ができるかを考えること。
例えば、子供が暗闇を怖がっているとします。
子供と一緒に部屋の隅にしゃがみ込み、声を潜めて怖がる。
これは共感です。
一方で、子供を落ち着かせて、「怖がる必要はないよ」となだめる。
安心させる。
これは思いやりです。
まとめ
「時々は騙されるという事実を受け入れた方がはるかに良い。なぜなら、それは他人を信じるという人生の贅沢を味わうための小さな代償だからだ」
これが今回の学びです。上下巻で分厚い本でなかなか読み終わらなかったですが、この一節に巡り会えただけで価値がありました。
企業として、安定するためにも契約周りのチェックやアサインの判断、リスクヘッジは重要ですが、メンバーもクライアントも信じて誠実な仕事をしていきたいと思います。
それこそが人生の贅沢を味わうことだからです。
