先日ミヒャエル・エンデの「モモ」を子供に読み聞かせをしたという話をしたら、同じくミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を子供の頃に何回も読んだという話を聞き、おすすめされて読んでみました。これは映画『ネバーエンディング・ストーリー』の原作らしいですね。映画見たことないですが機会があれば今度見てみよう。本の中の世界主人公の少年が、とある本を本屋で見かけると魅入られてしまい、それを盗んで学校をサボってまで読み耽ってしまうところから始まります。本の中の世界では、色々と困っていて、本の外の世界の住人、「人間」に本の中に来てもらう必要がある、と。そしてついには主人公は本の中に入ってしまう。という本です。約束はできない3つの扉がある。その扉を通り抜けけウユララに会えた者はこれまで殆どいない。でもたまにいる。とある男はその研究を長年し続けた。扉を通りうウユララに会うにはどんな条件があるのかと研究し続けるが、稀にいる通り抜けられた者がなぜ通り抜けられたのか、そのパターンが見出せない。しかも、通り抜けられたものにその理由を聞こうにも、どうしても教えてくれない。誰1人として。その研究者は、新たにチャレンジするアトレーユという少年に、「お願いじゃ!あんたがウユララのところまで辿り着けたなら、話してくれ!わしは知りたさのあまり死にそうなのに、誰も、誰1人助けようとはしてくれぬ。お、お願いじゃ、話してくれると約束してくれ、、、!」それに対しこのアトレーユという少年は、「約束することはできません」と即答する。これまでの誰1人もが教えなかったということは、きっとわけがあるのでしょう、と。その理由がわからないうちはそれを知らせて良いのか決めるわけにはいかない、と。この安請け合いしない姿勢が本当に素晴らしいと思った。こんなにお世話になり、しかも一生懸命頑張ってきている老人相手に、普通なら思わず約束してしまいそうなりそうなものだ。しかしこの話を言われた瞬間に「先人たちが話さなかったのには理由があるのでは?」と即思いつき、即断れるというのは並々ならぬ理解力・想像力、そして判断力だ。僕もこのようによく分析できるようになりたい者だ。「今までの人が話してくれない」と聞いた瞬間に、「その人たちは意地悪な人たちだな。僕なら教えてあげる」なんて思わずに、「言えないことには何か理由があるのでは?」とすぐにその可能性を考える。この思考のスピード・柔軟性は本当に大事。例えば、仕事で相手が自分の思うように動いてくれない。そんな時に相手が「仕事ができない」とか「理解力がない」とか思うのではなく「何か理由があるのでは?」とすぐ考えられるようにしよう。良かれと思ってやってうまくいかない。主人公はなんでもできる能力を手にいれる。それで良かれと思って困ってる人を助けてあげたりする。しかし、回り回ってその人たちが苦しむことになったり思っても見ない結果になったりする。現代社会でも似たような感じがある。何か問題があった時、安易に「こうすればいい」と一面からだけ捉えて極端な施策に出ても、思っても見なかった反発や悪影響があったりする。極端な施策より少しずつのパッチを当てた方が良いことが多い。そう思う。しかし、逆に安易で極端に考えないならば、じっくり熟考してから行動する必要がある。そうすると、単純に時間がかかって行動が遅くなる。あるいはすべての人の気持ちや状況を理解してしまうとその施策によって困る少数派に気づいてしまうので、どの施策も打てなくなる、、、結果、何もできないことになってしまわないだろうか。何も知らないことのメリット・デメリット。知識が増えることのメリット・デメリット。課題だ。