この本は面白いです。歴史を「薬物視点」で書いてきているのが斬新でした。「最大規模の薬害」は、ほぼ必ず合法な製品から生まれてきたこの本の冒頭に、こんな一文が出てきます。「最大規模の薬害(依存症を含む)は、ほぼ必ず合法な製品によって引き起こされるという事実は、繰り返し、そして「選択的」に忘れられている」この一文がこの本のすべてを言い表しています。本書では、アルコール・タバコ・カフェインの三つを「ビッグ3」と呼んでいます。私たちの生活に完全に溶け込んでいて、合法で、日常的に消費されている薬物です。一方で、ビッグ3ほど深刻な健康被害をもたらしていないにもかかわらず、長年にわたって厳しい規制の対象とされてきた薬物として、アヘン・大麻・コカの三つが挙げられています。これらは「リトル3」と呼ばれています。著者が指摘しているのは、社会がビッグ3によって引き起こされる健康被害を、繰り返し、そして都合よく忘れてきた一方で、あたかもリトル3こそが社会にとって最優先で対処すべき重大問題であるかのように宣伝し、その使用者に対する人権侵害的とも言える厳罰政策を長年にわたって許容してきた、という歴史的な経緯です。これ、かなり面白い視点だなと思いました。要するに、アルコールもタバコもカフェインも、薬物として見れば「全部危ない」。一方で、そこまで危険ではないにもかかわらず、厳しく規制され、悪者にされてきた薬物もある。この「危険性」と「社会的扱い」がまったく釣り合っていないという事実を、冒頭のこの章でいきなり突きつけてくるのが、この本の特徴だと思います。「良い薬物・悪い薬物」は存在しない、あるのは使い方だけこの本で言いたいことは、本の最後で紹介されている以下の3つで。第一に、薬物の違法・合法は医学的にではなく、政治的に決定されるということ。第二に、良い薬物も悪い薬物もなく、あるのは良い使い方と悪い使い方だけだということ。第三に、悪い使い方をする人は、たいてい何か別の困りごとを抱えているということ。薬物というのは薬物の歴史の中で、ずっとシェア争いをしてきた、と。「薬物戦争」とは、薬物同士のシェア争いです。その結果、薬物同士のシェア争いに勝ったのが、アルコール、カフェイン、そしてタバコだった。これらは今や社会に深く浸透してしまっているので、今さら違法にはできない。実際、世界は何度もアルコールなどを禁止しようとしてきましたが、そのたびに失敗してきた。一方で、そこまでシェアを取っていない新しい薬物が出てくると、簡単に規制され、過剰に罰せられ、「悪だ」とされてしまう。そういう歴史が繰り返されてきた、というわけです。この視点が、また面白い。結局のところ、アルコールだろうが、大麻だろうが、コカだろうが、本質的には変わらない。良い薬物も悪い薬物もない。アルコールもカフェインも、使い方次第ではめちゃくちゃ危険ですし、だからといって「これは良い薬物」「これは悪い薬物」と単純にカテゴライズできるものでもない。あるのは、ただ良い使い方と悪い使い方だけだ、という指摘です。本書では、市販薬であっても、悪い使い方をすれば深刻な問題を引き起こすこと、そして合法で許可されている薬にも依存してしまう少女たちが増えている、という話も紹介されています。そうした点も含めて、この「使い方」という視点はとても重要だなと感じました。深刻な薬物依存者のほとんどは、合法な薬物によってなされていると。さらに、悪い使い方をしてしまう人というのは、結局のところ、メンタル的な問題を抱えていたり、社会的に深刻な状況に置かれていたりすることが多い。これは確かにな、と思います。薬物そのものを単純に善悪で切るのではなく、社会の状態や個人の置かれている状況とセットで考えるべきだという点が、この本のとても興味深いところだと思いました。人類はパンより先にビールを作っていた?人類が麦から最初に作ったのは、パンとビールのどちらが先か、という論争が昔からあったそうなのですが、実はこれはすでに決着がついているそうです。結論から言うと、先に作られたのはビールだということです。これだけでも十分に面白い話なのですが、さらにそこから派生して、とても刺激的な仮説が紹介されています。それは、人間が定住生活を始め、農耕を開始した理由は、「パンが欲しかったから」ではなく、「酒が欲しかったからではないか」という仮説です。つまり、空腹を満たすための食料としてパンを求めたのではなく、酔うため、あるいはビールを安定して作るために、人類は麦を育て、定住するようになったのではないか、という見方です。もちろん、これはあくまで一つの仮説ではありますが、少なくとも「ビールの方がパンより先だった」という事実は、かなり興味深い話だと思いました。アルコール依存は「慢性自殺」ネイティブ・アメリカンの人たちは、自殺率が高いことで知られており、とりわけ若年層の自殺が非常に深刻な問題になっていると書かれています。背景には、植民地支配や文化の断絶など、非常に複雑な歴史的アイデンティティの問題があり、そうした状況が人々を追い込みやすくしているのではないか、という指摘があります。そして、これと強く関連しているのが、アルコール依存症率の高さです。なぜ、こうした状況になるのか。本書では、そこに「絶望死(despair)」としての側面があることが語られています。ある研究者は、アルコール依存症を「慢性自殺」であると位置づけているそうです。そして、過度な飲酒という行為は、自らの健康や生命を少しずつ削っていく行為である一方で、そこには「肯定的効果」とも言わざるを得ない側面が含まれている、と説明されています。それは、自殺を一時的に先延ばしにする効果です。つまり、ネイティブ・アメリカンの人たちにとってアルコールは、屈辱を忘れ、絶望から目を逸らすことで、一時的な延命を実現するものとして機能していたのかもしれない。本書では、そのように述べられています。アルコールと自殺率の間に明らかな相関があるにもかかわらず、それを単に「悪」と断じることができず、「一時的な延命行為」という肯定的な効果まで含めて語らなければならない。この構図そのものが、状況の深刻さを物語っているように感じました。そして改めて思ったのは、よくない薬の使い方をしてしまう人たちの背後には、たいていよくない社会的な問題があると。カフェインはなぜ、ここまで許されてきたのか次に出てくるのが、カフェインの話です。カフェインが、他の薬物ほど厳しい規制の対象になっていないという点が、まず興味深いと書かれています。確かに、私自身もお茶やコーヒーに含まれているカフェインに対して、そこまで「悪いもの」という印象は持っていません。もちろん、取り過ぎは良くないので、私自身もできるだけカフェインを避けるようにはしていますが、それでもアルコールやタバコと同列に語られるほど危険だ、という感覚は正直あまりない。でも、本書によると、カフェインは十分に「悪い」薬物なのだそうです。それにもかかわらず、なぜカフェインはあまり規制されてこなかったのか。この問いに対する歴史的な説明が、ものすごく面白い。結論としては、カフェインが現代社会の価値観と非常によくマッチしていたからだというのです。ここでも著者は、歴史を振り返りながら説明しています。例えば、中国でお茶が庶民に普及したのは、7〜8世紀、唐王朝の時代だそうです。その時期、中国は人口が爆発的に増加し、社会全体が大きく繁栄しました。お茶の普及と社会の発展には、明確な相関があるとされています。また、15世紀にコーヒーが普及し始めた頃、イスラム社会は世界で最も自然科学が進んでいた地域だったそうです。一方、ヨーロッパでは17世紀になってようやくコーヒーやお茶が普及し始めましたが、それを境にヨーロッパ社会は劇的に変化します。当時のヨーロッパでは、清潔な水を手に入れることが難しかったため、人々は昼間から水代わりにビールやワインを飲み、常にほろ酔いの状態で生活していたそうです。ところが、カフェインを含む飲み物は殺菌効果があるだけでなく、頭を冴えさせ、合理的な思考を助ける。この性質が、勤勉や勤労を重んじるピューリタン的価値観とぴったり噛み合い、カフェイン飲料は一気に台頭していきました。実際、産業革命以降の工場では、休憩時間の飲み物をビールから紅茶に変えたことで、事故が劇的に減少し、生産性が大きく向上したとも言われています。これは本当に面白い話です。さらに、町のコーヒーハウスには、知識人や商人たちが集まり、政治や経済、貿易、価格、技術などに関する情報交換が盛んに行われるようになりました。そうした場を通じて、社会そのものが発展していった、ということも書かれています。それまでは、薬物といえば酒、という時代だった。でも、酒ではなくカフェインを摂取することで、社会全体の生産性がめちゃくちゃ上がった。考えてみると、今でも無理やりカフェインを摂取して、生産性を上げながら戦っている人たちはたくさんいますよね。カフェインは体に良いものではない。それでも、産業の発展と強い相関がある、というこの話は、非常に興味深いと感じました。深刻な「合法な薬物」の中毒本書では、市販薬についてもかなり踏み込んで言及されています。市販薬というと、国の許可を受けて販売されている薬なので、「悪いわけがない」という感覚を持ちがちです。ところが、現在 市販薬による中毒者は非常に増えているそうです。しかも驚くことに、こうした市販薬の中毒者は、違法ドラッグの中毒者よりもはるかに多いというのが事実だと書かれています。つまり、人々が中毒になっているのは、昔から一貫して「合法なもの」なのだということです。今、社会にとって最も深刻な問題になっているのは、合法なものへの依存であり、市販薬もその例外ではない。最近は、市販薬がインターネットでも簡単に購入できるようになり、その結果として中毒者が増えている、という指摘もあります。ここでまた興味深いのが、過去との比較です。一時期、違法ドラッグや脱法ハーブといった「危険ドラッグ」が流行し、社会問題になったことがありました。しかし、これらは比較的早い段階で規制され、現在ではほとんど見かけなくなったそうです。それとは対照的に、ここ10年ほどで、市販薬を乱用する若者が増えているという現象が起きています。では、かつて危険ドラッグを使っていた人たちが、そのまま市販薬に流れたのかというと、全くそうではない。もともと危険ドラッグを使用していたのは、義務教育を終えただけの若い男性が中心だそうです。ところが現在、市販薬の中毒者として大量に現れているのは、これまで違法ドラッグや薬物に一切手を出したことがないような少女たちだそうです。その背景には、市販薬がネットで簡単に買えるようになったこともありますし、先ほど触れたような社会状況、彼女たちが置かれている環境、さらにはSNSの影響など、さまざまな要因が絡んでいるのではないか、と指摘されています。薬物そのものを取り締まれば解決する、という話ではない。ここでもやはり、社会の側にある問題が、別の形の依存を生み出しているのではないか、という本書の一貫した視点が浮かび上がってきます。感想:まとめ冒頭に書いた、最大規模の薬害(依存症を含む)は、ほぼ必ず合法な製品によって引き起こされるという事実は、繰り返し、そして「選択的」に忘れられているということがこの主張のすべてだと思います。合法なものっでみんな中毒になっている。そして合法なものは論理的に中毒性で決めているわけではなく、政治的に決まってきた、と。そして、良い薬も悪い薬もない。良い使い方、悪い使い方があるだけだ。と。そして悪い使い方をする人は、何か別の問題を抱えている、と。とりあえず、中毒にならないようにするために、そもそも心の健康に気をつけよう。そのための環境づくりを優先しよう。と、思った。