この本は、言語に関するさまざまな事実やエピソードを扱っており、僕自身も英語を勉強していることもあって、言語には元々興味があり、軽い気持ちで手に取りました。ですが、実際に読んでみると、面白さは非常にありながらも、想像していたものとは違って、とても重く悲しい内容の本でした。言語の消滅とその現実世界には7000以上の言語が存在するそうですが、その数は毎年増減していて、実際には消滅していく言語が大量にあります。まるで生物の絶滅危種リストのように、死に絶えそうな言語をまとめた「危険言語リスト」もあり、2010年時点で2473の言語がリストアップされていたと書かれていました。世界共通語への思いと考えの変化僕自身はこれまで、世界中の人が最初から同一言語を話すなら、誰もが言語学習の苦労もなく、もっと仲良くできるのではないかと漠然と考えていました。いまだに英語を勉強している自分としては、これだけ膨大な時間を使って学んでてもまだこんなレベルの英語力なのかと日々思うので、言語学習コストが最も無駄だと感じてしまいます。なので、最初から共通言語しかない世界だったらもっと生産性も上がるしみんなも仲良くなれるのでは、と。しかしこの本を読み進めていくうちに、言語が失われるということは単なる「言葉の消滅」ではなく、その背景にある文化や人々の営み、人間らしさそのものを奪っていくことだと気づかされました。共通語の便利さの裏にある「文化の喪失」という重みを実感しました。言語と支配・差別の歴史この本の中で繰り返し話られるのは、言語と支配・差別の関係です。例えば、戦争や植民地政策において支配者が自らの言語を押し付けるということ。直接的に行われなくても、強い言語が弱い言語を自然と圧迫していく現象は現代でも続いていると書かれています。日本も植民地に対し日本語を押し付けていた歴史があるのでこれは容易にイメージできますよね。ただ、この本によると、支配者側にとっても言語の押し付けはコストが大きく、必ずしも容易には行えないという点でした。そのため、植民地政策の現場ではあまり言語を強要することは少ないそうです。庶民にではなく上流階級や管理層に限定して言語教育を行うケースが多く、庶民に対してはむしろ言語教育を推奨しない、あるいはさせないというような方針をとることが多いと。結果、現地の人たちは責任のある職や役人などになってのしあがりたければ、その支配者の言語を習得しなければ社会的に昇進できない、という構造になる、と書かれています。こうした話を読むと、共通言語が広がる歴史の裏には、常に痛みや悲しさが伴っていたことを改めて強く感じました。そう言う歴史があることはわかってるはずだし、容易に理解できることですが、普段我々はそれを感じて生きてはいない。そんな我々に対し現実を見せてくれる本でした。言語が増えるケースと方言の問題また興味深かったのは、言語が消えるだけではなく「増える」例も紹介されていたことです。例えば、かってのセルビア・クロアチア語が、ユーゴスラビアの分離独立によってセルビア語とクロアチア語に分かれ、それぞれの辞書が作られたという話。ある人によると、「言語とは陸軍と海軍を持つ方言である」という言い方もされるそうです。なるほど、、、と思いますよね。例えば私は人口17万人程度の青森県弘前市の出身ですが、もし弘前市が日本から独立すると津軽弁が標準語になり、ニュースや新聞は津軽弁で報道され、国語辞典も国語の教科書も津軽弁になるということですよね。僕は津軽弁は日本語の1方言に過ぎないと思っていますが、このレベルでも「言語」となれる可能性もあるのかも、、、と思うと不思議な気持ちになります。まぁ実際、ガチの津軽弁で話してるおばあちゃんたちの会話は標準語を習っただけの人では全く伝わらないですもんね。別言語と定義してもいいレベルなのかも。ユネスコでは、2500の言語が消滅の危機にあり、そのうち8つは日本に関連するもの(アイヌ語、沖縄語、八丈語など)だといいます。ところが、日本政府はアイヌ語だけを「言語」として認め、他は「方言」として扱っている。と。これはどういう意味になるのか、、、深く考えさせられる部分でした。「日本手話」と「日本語対応手話」本書では「手話」についての話も出てきました。実は、日本には 日本手話 と 日本語対応手話 という二つの手話が存在するのだそうです。まず、日本手話を母語とする人たち(先天的に聴覚を失った人たち)は、日本語とは全く異なる音韻・形態・統語の構造を持つ、独立した一つの言語として日本手話を使っています。一方で、中途失聴者や難聴の人々は「日本語対応手話」と呼ばれる手話を使うことが多いそうです。これは日本語をベースに、手で表現できるようにしたもので、音声日本語を聞いて理解していた経験がある人たちが使いやすいからとのことでした。この二つの手話の間には、時に対立のような関係もあると書かれています。特に、日本手話を母語とする人たちにとって、日本語対応手話を強制されることは「自分たちの言葉を奪われている」と感じるほど大きな苦痛になるそうです。その表現がとても印象的でした。僕はこの話を読んで、改めて「言葉」というものの意味を考えさせられました。音声であれ手話であれ、そこには文化やアイデンティティが宿っていて、外から見れば同じ「手話」に見えても、当事者にとっては全く違う「自分たちの言語」なのだということです。言語が失われる悲しさを扱う本でしたが、この手話の話もまさに「言語の尊厳」に直結するもので、なんとも言えない気持ちになりました。(最近なんとも言えない気持ちになる本が多いな...)読後の気持ちまとめると、この本は「言語差別」や「弱い言語を話す人々の苦しみ」に焦点を当てた、多くの小さなエピソードを集めた一冊でした。読んでいて非常に考えさせられました。僕はこれまで「世界共通言語が1つあればいい」と単純に思っていました。言語が統一されていった方が全員の利便性があがるはず、と。しかしこの本を読んでいると「各言語が消える悲しさ」について強く感じるようになります。当然ながら言語はカルチャーと深く深く結びついていて、言語がなくなるということはカルチャーやその人の人生に多大な影響がある、ということ。考えさせられます。