エステル・デュフロ、アビジット・V・バナジーの『貧困と闘う知』を読み終えました。

率直な感想として、まったくすっきりしない本でした。

というのも、貧困を解決するためにはこうすればいい、という明確な答えが最後まで出てこなかったからです。

教育が重要だ。健康が重要だ。金融サービスへのアクセスが重要だ。汚職をなくすことが重要だ。

どれもその通りなのですが、ではそれをどう実現するのかとなると、話は途端に複雑になります。

一つ問題を解決したと思ったら、別の問題が出てくる。良かれと思って実施した政策が、期待したような結果につながらないこともある。

この本は、そうした事例を延々と紹介していきます。

そして最後の結論は、貧困を解決する魔法のような方法はない、というものでした。

ただ、読み終わって振り返ってみると、これは単に貧困問題についての本ではなかったようにも思います。

人間とは、そもそもこういう複雑で難しい生き物なのだ。

ある意味、人間社会の縮図を読んできたような感覚がありました。

そして、この本を読みながら、以前読んだ『荒野に果実が実るまで』のことを何度も思い出しました。新卒でアフリカに渡った駐在員の奮闘記で、研究や統計ではなく、まさに現場で貧困と向き合い、具体的な支援に奮闘した人のリアルを描いた一冊です。本書が「なぜうまくいかないのか」を研究者の視点から解き明かしていくのに対し、あちらは現場の当事者としての視点から同じ難しさを描いていて、あわせて読むと本当に参考になります。

教育が大切なのはわかっている。でも学校に行かない

この本では、まず教育と健康について多くのページが割かれています。

教育が貧困から抜け出すために重要なのは、誰もが理解できる話です。

では、貧しい地域の子どもたちを学校に通わせればいい。

ところが、これが簡単ではありません。

まず親にとって、子どもを学校に通わせることには二重のコストがあります。

一つは教育にかかる費用。そしてもう一つは、子どもが働いたり家の仕事を手伝ったりすることで得られるはずだった収入や労働力を失うことです。

つまり、学校に行かせることは、今の生活を苦しくする可能性があるわけです。

それなら学校を無償化すればいい。

ところが、それでもなかなか学校に来ない。

そこで給食を提供すると、一定の成果が出ることがあります。子どもの食事を学校で出してもらえるなら、家計の負担が減るからです。

なるほど、と思います。

しかし、これで解決かというと、そうでもありません。

そもそも子どもが健康ではなく、学校に通える状態ではないこともある。家の手伝いを優先させられることもある。

さらに、学校に通っていることになっていても、実際には登校していないケースがある。

教師の側も同じです。無断で欠勤する教師がいる。学校側に報告を求めても、教師も生徒もきちんと来ているという報告が上がってくる。そこで抜き打ちで調査してみると、実態がまったく違うことがわかる。

そして、仮に子どもが学校に通っていたとしても、今度は学力の問題があります。

何年も学校に通ったのに、十分な読み書きができないまま卒業してしまう子どもがいる。

しかも、親自身が読み書きできなければ、子どもがどの程度の学力を身につけているのか判断することも難しい。

ものすごい話です。

学校を建てればいいわけではない。無料にすればいいわけでもない。通学させればいいわけでもない。

教育という一見シンプルな問題の中に、家計、健康、労働、教師の動機、親の知識、学校の制度など、無数の問題が絡み合っているのです。

健康についても、まったく同じことが起こる

健康についても同じです。

例えば、ワクチンを無料で受けられるようにする。

子どもが病気になるのを防げるのだから、親は当然受けさせるだろうと思います。

しかし、実際には接種率がなかなか上がらない。

ではなぜなのか。

接種場所まで行くのが大変なのかもしれない。仕事を休まなければならないのかもしれない。効果を十分に理解していないのかもしれない。あるいは、今日の食事をどうするかという問題の方が、はるかに切実なのかもしれない。

そこで、予防接種を受けると少量の食料をもらえるようにすると、接種率が上がったりする。

蚊帳についても同じような話が出てきます。

マラリアを予防するために蚊帳を普及させたい。しかし、少額でも有料にすると購入率が大きく下がる。無料で配れば普及しやすくなるものの、実際に使ってもらうには別の問題も考えなければならない。

暑くて使いたくない人もいるでしょうし、そもそもマラリアの危険を十分に理解していない人もいるでしょう。

ただし、無料で配ると大切に使われない、という単純な話でもありません。無料配布でもきちんと使用されることを示した研究もあります。

つまり、無料がいいのか、有料がいいのかという問題でさえ、一筋縄ではいかないのです。

外から見ると、なんとも不思議です。

子どもの健康を守れるのに、なぜ予防接種を受けないのか。命を守る蚊帳があるのに、なぜ使わないのか。

しかし、ここにこの本の大切な視点があるように思いました。

外から見ると非合理でも、現場では合理的なのかもしれない

私たちは、こうした話を聞くと、つい「なんて愚かなことをしているのだろう」と思ってしまいます。

せっかく教育の機会があるのに学校に行かない。

無料で予防接種を受けられるのに受けない。

将来のために貯金した方がいいのに、目先のことにお金を使ってしまう。

しかし、それは私たちが、彼らとはまったく違う環境から物事を見ているからではないでしょうか。

日本に暮らす私たちは、比較的安定した生活環境の中で、将来について考えることができます。

子どもを学校に通わせることも、病院に行くことも、ある程度当たり前になっています。

しかし、今日の食事に困っている人にとって、10年後の教育の成果より、今日得られる収入の方が重要なのは当然かもしれません。

将来病気になる可能性を減らすことより、今日の仕事を休まずに済むことの方が重要かもしれません。

その人たちは、決して何も考えていないわけではない。その人が置かれた環境の中で、優先順位を考えた結果、そうした行動を取っているのかもしれないのです。

もちろん、すべての行動が合理的だというわけではありません。人間は判断を間違えることもあるし、思い込みや誘惑に左右されることもあります。

ただ、外から見て非合理的だからといって、その人が愚かなのだと決めつけてはいけない。

これが、この本から得た大きな学びの一つでした。

マイクロファイナンスも万能ではない

本の後半では、金融の問題も扱われています。

貧しい人たちに少額のお金を貸し出し、それを元手に商売を始めてもらう。そうすれば自立して生活できるようになるのではないか。

マイクロファイナンスという考え方です。

これも一見すると、とても合理的に思えます。

しかし、実際にはさまざまな問題があります。

融資する側には、少額の貸し付けであっても審査や回収のコストがかかります。返済されないリスクもあります。そのため、金利が高くなりやすい。

借りる側も、必ずしも事業を成功させられるわけではありません。そもそも全員が起業家になりたいわけでもありません。

また、人間は金融商品を選ぶときでさえ、金利や返済総額だけで合理的に判断するとは限りません。

広告の見せ方や、商品の印象などに左右されることもあります。

これもまた、人間らしい話です。

そして、貧しい人たちの多くが本当に望んでいるのは、起業して大成功することではなく、安定した給料をもらえる仕事だったりします。

確かにそうですよね。

私たちだって、全員が起業したいわけではありません。

なのに、貧しい人たちに対しては、融資して起業させれば自立できるのではないかと考えてしまう。

ここにも、外から見た理想と、現場の人たちが実際に望んでいることのズレがあるように思いました。

汚職や賄賂の問題は、さらに根深い

最後の方では、ガバナンスや汚職についても扱われています。

せっかく援助をしても、そのお金や物資が本当に必要な人たちに届かない。

途中で賄賂や汚職によって失われてしまう。

運転免許でさえ、お金を払えば不正に取得できてしまうような事例も紹介されます。

こういう話を聞くと、さすがに腹立たしくなります。

せっかく支援しようとしているのに、なぜそんなことをするのか。

しかし、ここでも問題は複雑です。

例えば、役人個人にとっては、賄賂を受け取ることに経済的なメリットがあるのかもしれません。

もちろん、だからといって汚職が許されるわけではありません。

ただ、個人にとって利益のある行動が、社会全体にとっては大きな損失になることがある。

そして、それを防ぐために監視や制度を作っても、また別の抜け道が生まれたりする。

制度を作れば人間がその通りに動く、というほど単純な話ではないのです。

これは貧困問題だけではない。人間社会そのものの話だと思う

ここまで読んで感じたのは、この本で起こっていることは、決して貧しい国だけの問題ではないということです。

例えば、私たち自身の生活を考えてみても、同じようなことはいくらでもあります。

健康のために運動した方がいいとわかっているのに、運動しない。

タバコをやめた方がいいとわかっているのに、やめられない。

将来のために貯金した方がいいとわかっているのに、目先の欲しいものを買ってしまう。

日本の政治でも同じです。

長期的には社会保障制度や財政を改革した方がいいとわかっていても、有権者にとっては今の生活が大切です。

政治家にとっても、10年後の日本より次の選挙の方が切実かもしれません。

会社経営でもそうでしょう。

経営者が「こういう制度を作れば社員は動くはずだ」と考えても、実際には思い通りに動かないことがあります。

なぜなら、社員には社員の事情があり、優先順位があるからです。

それぞれの立場で合理的に行動しているつもりでも、全体としては望ましくない結果になることがある。

人間は、長期的に見て最も合理的な選択を、常にできる生き物ではないのです。

そして、それは貧しい人だけではなく、私たち全員に共通することなのだと思います。

では、どうすればいいのか

結局、ここに戻ってきます。

どうすれば貧困を解決できるのか。

教育を普及させればいいのか。医療を充実させればいいのか。お金を貸せばいいのか。汚職をなくせばいいのか。

どれも重要です。

しかし、どれか一つを実現すれば解決するという話ではありません。

そして、机上で考えた正しい政策が、現場でその通りに機能するとも限りません。

だからこそ、実際に現場に入り込んで、何が問題なのかを調べ、仮説を立て、試してみる。

うまくいかなければ、また考え直す。

その繰り返ししかないのだと思います。

ここで重要なのは、人間の考え方を変えようとするだけではなく、人間が行動しやすい環境を作ることなのかもしれません。

予防接種の重要性を延々と説得するよりも、接種会場を身近な場所に設けたり、小さな報酬を用意したりする方が効果的なこともある。

人間が完璧に合理的になることを期待するのではなく、そうではない人間でも望ましい行動を取りやすい仕組みを考える。

この発想は、貧困対策に限らず、ビジネスや政治、教育など、あらゆる分野に応用できると思います。

そして、支援する側の大変さも考えさせられた

もう一つ、この本を読んで強く感じたことがあります。

それは、実際に現場で貧困問題に取り組んでいる人たちは、どれほど大変なのだろうということです。

良かれと思って支援しても、思うような成果が出ない。

学校を作っても子どもが来ない。ワクチンを用意しても受けに来ない。援助をしても汚職によって届かない。

そういうことが何度も繰り返される。

支援する側だって人間です。

これだけ一生懸命やっているのに、なぜわかってくれないのか。なぜ行動してくれないのか。

そう思ってしまうこともあるでしょう。

時には、もう本人たちの自己責任でいいのではないか、そこまでして助ける必要があるのだろうか、という気持ちにさえなるかもしれません。

現場で活動する人たちは、強い使命感を持っているのだと思います。

しかし、その思いが相手に簡単に伝わるわけではありません。努力が成果につながるとも限りません。

経済的なコストだけでなく、精神的なコストも相当なものだと思います。

それでも、一つずつ問題を解決していくしかない。

この本の最後に出てくる「試行錯誤、創意、そして根気」という言葉は、そうした現場の大変さを考えると、非常に重く感じられます。

読み終わっても、やっぱりすっきりしない

この本を読んで、貧困問題を解決する明確な答えが得られたわけではありません。

むしろ、読み始める前よりも、どれほど難しい問題なのかを思い知らされました。

ただ、一つ確かに学んだことがあります。

それは、自分から見て理解できない行動を取る人がいたとしても、その人を簡単に愚かだと決めつけてはいけないということです。

その人には、その人の置かれた環境があります。

私たちには見えていない制約があり、事情があり、優先順位があります。

もちろん、だからといって、すべての行動が正しいわけではありません。

間違った判断もあるし、改善すべき行動もあります。

しかし、相手を愚かだと一蹴したところで、何も解決しません。

なぜそういう行動を取るのかを理解し、その人がより良い選択をできるような環境を考える。

そして、実際に試してみる。

うまくいかなければ、またやり直す。

おそらく、それしかないのでしょう。

この本は、貧困問題についての本であると同時に、人間という生き物の複雑さについての本だったように思います。

私たちは、自分が思っているほど合理的ではありません。

そして、社会は、自分が思っているほど単純には動きません。

だからこそ、現場を見ずに正論だけを語っても、物事は変わらない。

答えを知っているつもりにならず、現実を見て、試して、間違えて、また考える。

読み終わってもすっきりしなかったけれど、物事を見るときの姿勢について、非常に大切なことを教えてもらった気がします。

そして何より、世界の貧困と向き合い、簡単には成果が出ない中でも地道に取り組み続けている人たちに、改めて敬意を感じました。