この本はここ最近で一番心を打たれた本。リアルすぎる現場での奮闘が描かれています。援助の中毒性、腐敗した社会構造、紛争が終わらない仕組み、その中でどう農業を根付かせていくか。実際に戦った人の実話に、心を動かされました。ビジネスパースンも読んで損はないと思います。どう考えても正しくない組織構造の中で、それを嘆いていても始まらない中で、話を進めるためにどう動く必要があるか。それらに体当たりでぶつかっていった田畑さんの本。学びが多すぎる一冊です。概要23歳の新卒の若者が、就職せずにアフリカの支援に飛び込んでいく。ウガンダの奥地のカラモジャは、飢餓で死んでいく人がたくさんいた。原因は色々あるが、直近の理由はウクライナ・ロシアの戦争。世界の穀倉地帯である両国の戦争の影響は小麦の価格を上げ、現地の人たちが買えなくなっていた。食べ物がなく、毒と分かりながら毒草を食べて死んでいく人もいるそう。「10人に4人は食べるものがない」「ある県では毎月100人以上が餓死している」そんな環境に、農業を勧め、自立を促すために、田畑さんは向かっていく。水さえあれば肥沃な土地。でも水がない。貯水地を掘り、灌漑を勧め、農業を教え、現地の人たちだけで毎年収穫できる状況を作ろうとする。その道中で起こる数々のトラブル。支援の闇。そんな本です。私たち村人が受け取る日当はないのか?「援助」の闇。田畑さんは貧しい村を支援するために訪れている。しかし、外国人、NGOのような組織が来ると、彼らは与えられることが前提になってしまっている。これが援助の毒性だそうだ。そのため、現地に行く前に周りの人々に散々言われたのが、「日当を渡さないと誰も動かない」ということだ。やりたいことは現地の人を支援だ。みんなに集まってもらい農業の重要性を説明し、自分たちで農業ができる状況を作る。その支援をしたい。しかしお金を払わないと誰も集まってくれない。特に役人や政治家。まずは彼らに話を通さないとそもそも支援を進めることさえできない。しかし、彼ら役人・政治家に日当を払わなければ、支援をさせてもらえない。彼らもそれがわかっているので、あの手この手で支援をもらおうとする。それが正しくないのは当然だ。その上でプロジェクトを進めなければならない。著者は下げたくない頭も下げて、役人たちの機嫌を損ねないよう、その上で貧しいプロジェクトメンバーたちがやる気になるよう、未経験のマネジメントを全力で進めていく。トリクルダウンは起こらない。富める者にお金が入れば、順にその下の者たちにもお金が行き渡る、というトリクルダウンという考え方。そんなものは見たことがない、と彼は言う。すべては政治家や役人、軍、村長などが吸い上げ、本当に貧しい人に届かない。彼は支援の際に、本当に貧しい人たちをリストアップしてほしい、と村長に頼む。例えばシングルマザーなどを代表とする、今日食べるものがそもそもなく、本当に困っている人たちだ。しかし村長は、「村長の娘たち」や「村長と近しい人たち」をそのリストに書いて渡してくる。より富める者が支援をもらい、そうでないものにはそもそも支援は行き届かない。そんな仕組みができてしまっている。これは植民地時代からの構造の続きだと著者はいう。カラモジャから紛争がなくならない理由:カムフラージュ政府は国力増強のため兵士を増やしたい。しかし理由もなく増兵すると国際社会から批判がある。しかしカラモジャが紛争地帯であればその言い訳が立ち、カムフラージュとしてカラモジャは最適な場所だ、と。カラモジャの紛争が続けば増兵の理由になるし、さらに定期的に戦闘が発生すれば兵士も平和ボケしない。さらに、政府軍から窃盗団に武器が流れていく。窃盗団が村を襲い強奪する。その利益を政府軍にフィードバックする。窃盗団が現れることで警備が必要になり、警察はNGOなどからもお金をもらって警備を配備でき利益が出る。最悪のループが終わらない。紛争がすべてを奪ってしまう。しかし収入源がないので若者は銃をもち窃盗団に入る。辞めても収入がないので他の選択肢がない。それなのに窃盗団に入るのは辞めなさい、と言えるのか。と著者の苦悩が綴られる。援助は怪物「あなたの村で誇りに思うものは何ですか?」と聞くと、文化、ダンス、友情、優しさなどが上がる中で、一際目立つものは、「NGO」「食糧支援」だそうだ。援助が誇りなってしまうほどに、援助漬けに晒されてきたことを、著者は問題視している。カラモジャは大量に飢餓があるので「資金調達の道具」としてはとても分かりやすい。そして緊急支援はすぐに実施できて資金提供者に対しても見栄えもいい。有力者と結託して受益者リストを作ることでどんどん有力者たちにお金が入る。つまり、カラモジャがこのまま混乱状態の方が儲かる人たちがいる。援助依存症の闇は深い。日当を払わないという選択ここの人々は援助に慣れすぎ、日当を払わないと集まってももらえない。自立できるように農業の技術支援すると言っても、今日の日当が欲しい。技術は要らないから日当を払え、という話になってしまう。この著者は、「日当はありません。これからもずっと」と苛立ちながらも答え、なんども説得していく。なんて過酷な戦いなんだろう。なんと厳しい。支援に来ているのに、誰も支援を求めていない。欲しいのは目先のお金だけ。でもそれも確かにわかる。農業とは、超長期間の積み重ねの後に実りを得られる、にもかかわらず天候に左右されうまくいかないこともある、という超・難易度の高いビジネスだと思う。それを、やったことのない人たち、特にその実績のない土地で、農業などできないと言われてる土地でやろうとして伝わらないのは仕方がないかもしれない。そんな中で、協力的でないどころか、助けに来ているのに金を払えと言われる理不尽、、、苦しいに決まっている。なんのために来てるのか分からなくなりそうだ。田畑さんは本当にものすごい偉業を成し遂げた人だと思う。広大な土地があるカラモジャは、貧しい土地ではない。水さえあればいくらでも食べ物を育てることができる。それを信じて進む田畑さんには、尊敬しかない。プロジェクトマネジメントプロジェクト進行における一つ一つのドラブル対応も、綺麗事なしにリアルに描かれていてとても心に響く。お金を横領するメンバー、暴言を吐き混乱させるメンバー、警備の仕事をするはずなのに他のところでマンゴーを売ってたりするメンバー、さまざまだ。それぞれを一つ一つ対応していく。この状況に比べれば僕がやってきたシステム開発のプロジェクトなんてヌルすぎる。システム開発の現場でも色んな人がいた。それでも、どんなトラブルメイカーでも日本の社会人の常識の範囲内での異常さだ。それでも、システム開発も簡単ではない。23〜25歳の若者がいきなりできるようなものじゃない。コミュニケーション、交渉術、忍耐力、心の反射神経、なにより炎上プロジェクトの実践経験が必要だ。それを外国人メンバーとやるならより一層大変になる。僕もアジアを中心とした海外メンバーとやっていたからその難しさは良くわかる。それでも僕が格闘していたのは、少なくとも「ITエンジニアとして自立しシステム開発とは何かは分かっている」という常識は共有できている前提での多様性だ。しかし彼の場合はそれを、未経験の新卒の状態で、いきなり現場の全責任をほぼ1人で背負い、NGOからは日当をもらわないと動かない、というカルチャーで育ち農業経験もほとんどないようなメンバーを相手にマインドセットから植え付けプロジェクトを進行している。そのチャレンジ精神とやり抜く意志の力に感服するしかない。友人関係が減る今学生の頃はバックパッカーだった彼は、当時はアフリカを回ってたくさん友達を作り、笑い、楽しい日々を過ごしていた。その経験からもアフリカで支援をしたいという気持ちになったのだろう。しかし実際にNGOとしてアフリカに来ている今、「なぜアフリカにいるの?」と聞かれ「NGOで」と答えると、すぐお金の話になってしまう。「お金に困っているんだ」「NGOの仕事に入れてくれないか」といった話ばかりになってしまい、それを断るだけの日々で楽しい友人関係を作ることが難しい。この著者も、楽しかったバックパッカーのあの頃に戻りたいという気持ちもあるそうだ。正直なその苦悩もまた、リアルで胸に響く。なぜ自分とは無関係そうな人々のために働くのかこの難しい問いに対し、彼は最後に、「自分さえ良ければそれで良いという人生は、果たして生きる価値があるのだろうか。私にとっては他者と分け合わない人生など意味がない」というデニ・ムクウェゲの名言を引用し、これが答えだと述べている。収穫最初は、「自分たちの畑」という意識が薄く、NGOに言われてやっているという感じが否めなかった。日当を求めていたことがまさにそれだ。しかし、徐々に自分の畑という意識が芽生え始める。メンバーたちの、自分たちがやってきた農業への思いが明らかに1年前とは違うことを著者が感じ始める。そして収穫。想定以上のゴマが収穫できたり、とうもろこしも無事収穫でき、トマトが穫れて想定以上に販売・売上も上げることができた。僕は読んでいるだけなのに感動、、、泣きそうになった。それでも課題はまだ山積みだそうだ。それでも本当に大きな一歩だ。