この本の著者は、子どもの頃から集団行動がとても苦手なタイプで、世の中の息苦しさを感じていて、「苦しくなると旅行に行く」ようになったそうです。旅をすることで現実から逃げる、日常から逃げるという行動を取るようになったと。旅や登山をすることで、世界が開いていったように感じた、と。この「苦しい時に逃げること」を、著者は心の中で「夜逃げ旅」と名付け、バイトをして「夜逃げ旅貯金」を始め、いろいろな場所へ旅に出るようになります。本の中では、本当にさまざまな面白い旅のエピソードが紹介されていて、今回はそれを一つずつ書いていきたい、紹介していきたいと思います。余命半年で、旅謎の20代くらいのお姉さんと、60代くらいで百キロはありそうな大柄なおばさんの話。とあるドミトリールームで、その二人が一緒にいて、親子なのか...?と思ったのですが、でもちょっとそんな感じもしない。「なんだろう、この人たちは」と思っていたところ、実はそのおばさんは余命1か月のがんで、残りの時間を旅をして過ごしたい。付き合ってくれる人はいないかとネットで探したそうです。すると、とある医学生の女性が「私はどこでも勉強できるから、ついていく」という感じで見つかり、二人でいろんなところを旅している、という話でした。ただ、そんな凄まじい状況にもかかわらず、その二人には悲壮感がまったくありません。医学生の子も、特に「この相手のために何とか旅を成功させたい」というような気負いもなく、ゆるい感じでやっているし、余命半年と言われているその人自身も、あまり悲壮感なく楽しんでいる。そんな話をしていると、周りの人がどんどん集まってきて、カナダ人女性は「じゃあカナディアン・ロッキーがいいから、絶対に行った方がいいよ」と言い、イギリス人男性は「コッツウォルズがベストだよ。なんなら俺が車で案内するぜ」と対抗したりします。さらにインドの留学生は、「でもイギリスはご飯が美味しくないから、本場のカレーを食べさせてあげるよ」みたいなことを言ったりします。そういうふうに、どんどん人が集まってきて、おばさんも笑い転げながら話を聞いている。そういうやり取りを聞いて、「こんな世界もあるんだ」「こういうふうに生きてもいいんだ」ということに、彼女は気づかされたそうです。蟻塚に突っ込んで逮捕・牢屋レンタカーを借りて運転してたら蟻塚に突っ込んでしまい事故。保険でなんとかなるかなーと思ってたところ、なんと逮捕状が出される。え?と思って聞くと、どうやら日本人だと思って舐められて、金を払うか刑務所に行くか選べ、って感じらしい。怖い・・・しかし、なんだかんだで金を払うんじゃなく刑務所に行くことに。なんだその選択は、、、怖い。。しかし、刑務所に行くととても楽しい刑務所の仲間たち。囚人「あんた、何人殺してここに来たんだい?」著者「うーん、、、(蟻塚に突っ込んだから)たぶんant(アリ)を20000匹くらいかな?」囚人「ははははは!そりゃー殺しすぎだろ!」なんてウィットに飛んだジョークだwそして、パンツやパジャマを貸してくれる刑務所の囚人たち。ご飯も分けてくれるし、音楽をかけてダンスしたり。世界観が変わるほどの刑務所体験だったという、、、すげーな。。結果、それほど経たずに出れて、刑務所に友達ができて、人生観も変わる素敵な体験だったそうな。あずささん、すげー。「アリとキリギリス」が刺さらない国とあるレストランに行って、そこでご飯を食べたらとても美味しかった。そこで次の日にお腹が空いたので、「また料理を作ってほしい。お店を開けてよ」と言ったそうです。しかし、そのお店のおじさんはなかなか店を開けません。なぜなら、「働かなくていい日は働かない」というのが基本的なスタンスだからです。そのおじさんは、「ああ、昨夜うちの店に食べに来ていたジャパニーズか。俺も腹が空いたな。そこのパパイヤを取ってくれ」と言って、その辺に生えているパパイヤをお客さんに取らせます。しかも、別に自分でお金をもらうわけでもなく、適当な感じです。起きるのが面倒くさいから、むしろ「取ってくれ」というような態度で、そもそも働く気がありません。「働かないで大丈夫なの?」と聞いても、「いや、木にはパパイヤがなっているし、海には魚がいるだろ?」という答えが返ってきます。「じゃあ、野菜とか穀物とかは買わないの?靴とか買うのにもお金がいるでしょ?」と言われても、「昨日、あんたがご飯を食べてくれたから、しばらく金がある。まあいいよ」というようなスタンスなのだそうです。これが南国の人の考え方らしいです。また、イソップ童話の「アリとキリギリス」を読んであげても、まったく理解されないそうです。アリではなく、キリギリスの方を支持する。例えば、あたたかくて雨がたくさん降るような国などでは、1年に3回も米が収穫できたりします。パパイヤも、種をプッと吐き出せば、そこから芽が出てまた生えてくる。そんな環境では、むしろキリギリス側が当たり前、という感覚になるそうです。別の国でも、「働かないでお金はどうするの?」と聞くと、「お金がなくなったら、誰か親戚に借りる」というのが当たり前だと言います。「そんなに簡単に貸してくれるの?」と聞くと、「貸してくれるさ」と返ってくる。「でも、みんながそれだったら、お金を貸してくれる人がいなくなるんじゃないの?」と聞いても、「いや、そんなことはない。だいたい20人に1人くらいは、働くのが好きな不思議なやつがいるから、そういう人が貸してくれるよ」という考え方らしいです。日本人にはちょっと考えられないですが、それが当たり前だという民族や種族、人々がいるという事実を、私たちは理解しないことにはお互いに分かり合うことは難しいのではないかと思いました。価値観は固定的なものではなく、私たちの価値観も、何かしらの影響や「刷り込み」によって形づくられているもの。いろんな考え方があるということを、改めて気づかされるエピソードでした。登頂にこだわるのは日本人だけキリマンジャロの話も、とても面白かったです。キリマンジャロに行ったとき、登山ツアーに参加し、現地のガイドと一緒に山を登っていったそうです。その中に、日本人の女子大生のグループがいて、その人たちが高山病にかかってしまいました。通常、高山病の症状が出ても、そこでおしまいで下山すれば症状は治るので問題ありません。しかし、その子たちは「せっかくここまで来たのに」という気持ちから、「登頂しないと意味がない」と思い込み、ひたすら首を横に振り、何としても下山しないというスタンスで、山頂まで行こうとしたそうです。それに対してガイドの人は、「俺は日本人が一番嫌いだ」と言います。その理由は、日本人だけが登頂することにこだわるから、頂上まで登ることに執着するからです。実際に、途中で一緒に登っていたスペイン人の男性が、途中で頭が痛くなり、「俺はもうこれで帰るよ。じゃあね」と言って下山してしまったそうです。「登らないの?」と周りに言われても、「いやいや、楽しんでいかないと意味がないよ」と言って、あっさり帰ってしまう。一方で、女子大生たちは登頂することはできたものの、高山病がひどくなりすぎて、自分で歩いて帰ることもできず、引きずられるようにして下山したそうです。そして、登頂した記憶もほとんど残っていなかった。高山病は本当に恐ろしいものだと感じました。その後、ボロボロの状態で帰ってきた女子大生たちに対して、先に下山したスペイン人は、「山はどうだった? 僕はすごく楽しかったよ」と言い、道中の景色の素晴らしさや、下山後に飲んだビールの美味しさを、とてもいい笑顔で話していたそうです。こうした楽しみ方の違いが、非常に興味深いなと思いました。頂上だけにこだわり、達成することだけを重視する日本人のストイックさと、無理せず道中そのものをちゃんと楽しめるおおらかさ。この違いは、とても印象的でした。知らない人にご飯をもらうのが普通スーダンのイスラム教の話も面白かったです。とあるその国の人は、街を歩いていて、いきなりどこかの家に入り、ご飯を食べさせてもらいます。「友達の家なの?」と聞くと、「ノー」と答える。つまり、友達の家でもないけれど、ムスリム同士であれば「ブラザー・シスター」だから、普通に家に入ってご飯を食べさせてもらうくらい当たり前だ、という感覚なのだそうです。このカルチャーも、「そんなことがあるんだ」と思うくらい、まったく違う文化ですよね。そういうことが当たり前だと思っている人たちもいる、という事実が、私たちの世界の狭さを改めて感じさせます。インド仏教を復興させた日本人この話は、今までまったく知りませんでした。ササイさんという日本人が、ヒンドゥー教の国であるインドにインド仏教を広めたそうで、人口の約10%、1億5000万人ほどの信徒がいるそうです。そんな話は聞いたことがなかったので、すごいなと思いました。ササイさんは、カースト制の最下層であるダリットの人たちを、カーストから解放するために、仏教へ改宗させることで救いを与えようとしていた、というような話が書かれていました。1億人以上の人に影響を与えることを、日本人がやっているというのは、とても興味深い話だと思いました。