今回は『なぜ人だけが幸せになれないのか。』という生物学者の小林武彦さんが書いた本を読んでみました。僕は生き物が好きなので。まず前提として、小林さんは「生物は死からの距離が遠いほど幸せを感じる」という前提を置いていました。つまり、生き物は命の危機から遠ざかるほど安心感を得て、それが幸せにつながるという考え方です。ところが、人間は現代社会においては十分に安全が確保され、食事に困ることも少なくなっているのに、なぜか幸せになれない。その理由は、「人間は社会的な生き物だから」。単体で生きているわけではなく社会に貢献してコミュニティの中で生きている。なので、コミュニティから外されると生きていけないし、「評価」「分配」が重要になるので社会の評価が気になる生き物で、他人との相対的な比較がとても上手くなるよう進化してしまった。という感じの話。そんな中で興味深い内容をいくつかピックアップしてみたいと思います。人だけが「老後」を持つという不思議他の本でも読んだことがありますが、「人間以外の野生の哺乳動物には老後がない」という話ですね。哺乳類の多くは、基本的に「生殖ができなくなったら死ぬ」というライフサイクルを持っています。つまり、繁殖の役目が終われば、そこで寿命を迎えるのが自然の摂理。ですが、人間だけは違います。人は、生殖機能が衰えてもなお、長く生き続けますよね。このことについて本書では、「老後」は決して無駄な時間ではなく、“子どもや孫の子育てをサポートするための期間”として意味があるのだ、と説明されています。これは納得感がありますよね。実際に、多くの人が50代までは比較的健康で、がんの発症率も低いそうです。そして、子や孫がある程度育ち、自分の役割が終わると、そこから急に老化が進行しやすくなる。でも逆に、他の生物はすべて死の寸前まで出産できるってのが人間の感覚からすると恐ろしいですよね。ですが、うちの娘たちが飼ってるカマキリさんも、確かに死ぬ寸前まで卵を産んでます。なるほど、、、と思います。幸せよりも「不公平感」が勝ってしまう理由たとえば、チャーシュー麺が食べられて「わーい!」と幸せを感じていたとしても、隣の人のチャーシューの枚数が自分より1枚多いと気づいた瞬間その幸福感は一気に吹き飛び、「なんで自分だけ少ないの?」という不公平感が勝ってしまう。これ、めちゃくちゃあるあるですよね(笑)でもこれは単なるワガママではなく、「集団の中で自分がどれだけ公平に扱われているか」を把握することが、生存において極めて重要だったという進化の背景があるのだそうです。つまり、集団の中で不当に扱われることは、生き延びるチャンスを失うことに直結していたわけです。この「相対的評価によって不幸になる」という性質は、現代社会においては時に私たちを苦しめます。しかし一方で、「協調性」や「他者への共感力」といった社会的な美徳の源にもなっている。つまり、人間が人間らしくあるための特徴でもある、という点が興味深いなと思いました。「体毛が抜けた」のはなぜ?──火と進化の関係この本で個人的に一番「なるほど!」と思ったのが、「なぜ人間だけが体毛を失ったのか?」という話です。僕自身、以前からずっと不思議に思っていたんですよね。体毛がある方がどう考えても便利じゃないですか。犬やサルのように全身に毛があれば寒くても平気だし、服もいらないし、裸で歩いても変じゃない。それに、毛があれば虫に刺されにくいし、皮膚の保護にもなる。どう考えても毛があった方が有利だと思っていました。ところがこの本では、「体毛が抜ける=一見不利な変化」には、火の使用という進化的な背景があったのではないか、と仮説が紹介されています。火を扱うようになったことで、暖を取る手段が得られたため、毛皮による保温が不要になったのではないか、と書いてますが、それ以上に、火を扱う際、体毛があると燃え移ってしまい危険なため、安全上、体毛が少ない方が有利という仮説が驚きでした。たしかに!!と。なるほど、火というテクノロジーの登場が「体毛」という身体の構造にまで影響を与えたというのは、考えてもみなかった視点でした。それでもやっぱり、体毛があった方が便利な気もしますが(笑)「正義感」は本能であるこの本でとても興味深かったのが、「正義感や道徳心は後天的な教育や文化によって身につくものではなく、本能として持っているものだ」という主張です。僕自身はこれまで、正義感というのは、家庭や学校での教育の影響だと思っていました。でもこの本では違うんです。著者の主張によれば、正義感や道徳心は、人類が生き延びるために自然選択されてきた「本能」だそうです。つまりこういうことです:人類は社会性のある動物で、コミュニティで協力しながら生き延びてきたその中で「協調的」「公平を重んじる」「不正を許さない」といった性質を持つ個体が、生存・繁殖に有利だった結果として、不正に怒る本能・不平等を嫌う本能が、遺伝子に組み込まれていっただから、ズルをしている人を見るとモヤモヤしたり、「自分だけ損をしている」と感じて不満になるのは、合理的な感情であり、生き延びるために獲得してきた感情なんですね。3歳児でも「あ、ずる!」といってずるい人を指摘できるのは本能だからだ、と。これ、めちゃくちゃ面白い視点です。人間の「倫理」や「道徳」って、文明の進化の賜物だと思いがちですが、実はずっと前から、遺伝子レベルで組み込まれていたのかもしれない。「正義」は人間が生まれながらに持つ感情──そう考えると、性善説も悪くない、って思いました。生物学から考える「リーダーの条件」──メンバーの幸福度を上げるリーダー「リーダーの条件」も、ちょっと面白いです。ビジネス書的な視点ではなく、生物学の視点から語られているところが面白い。では、生物学視点で、どんな人物が生き残りに貢献する「良いリーダー」なのか?本書が挙げている条件を要約すると、以下の通りです:集団全体としての生存戦略に長け、メンバーの「幸福度」を上げることができる知識や経験が豊かで、教育熱心、利他的で、公共性のある精神を持っている評価を公正に行うことができる分配が公平で、納得感をもたらせるこれ、すごく本質を突いてますよね。たとえばビジネスの世界では「成果を上げる」「売上を伸ばす」リーダーが評価されてしまうことも多々あります。しかし、まず、「メンバーの幸福度を上げる」リーダーが最も重要だと。「これが最低条件である」とまで言っています。さらに、集団全体の公正・公平に評価・分配ができる人なんです。これ、、、難しいですよね!企業において適切に評価し給与設定できるなんて、難しすぎる。会社が大きくなればなるほど難しいでしょう。縄文時代のコミュニティなどは小さいから成り立ってたのかな?特に面白いなと思ったのは、「メンバーの幸せを増やす人が、最低条件である」という指摘。リーダーとは、「誰よりも優秀な人」ではなく、誰よりも公平で、信頼され、他人の幸福を考えられる人。この定義、すごく好きです。「老年的超越」という境地──最終章に訪れる、穏やかで肯定的な精神状態この本の中で「老年的超越」という言葉が出てきます。これは、人間が最終的にたどり着く理想的な精神状態として紹介されています。著者によれば、人は思春期を経て、青年期、中年期と進むにつれて、社会的な責任や役割が増えていきます。特に中年期は、仕事でも家庭でも大きな負担を抱え、最もストレスが多い時期だと。しかし、それを乗り越えていくと、85歳前後になってようやく訪れるのが、この「老年的超越」の段階です。この状態に達した高齢者には、以下のような特徴が見られるそうです:自己肯定感が高まり、落ち込むことが少なくなる他者に対する感謝や理解が自然と湧いてくる人生の終わりを意識しながらも、心は穏やかで肯定的執着が薄れ、物事に対して達観的になるなので、みんな大変だけど、85歳まで我慢すれば幸せになれるよーって笑ちょっと長いなw一方で、著者はオレオレ詐欺の話も挙げています。このような詐欺に高齢者が巻き込まれてしまうのは、「認知能力が衰えたから」ではなく、老年的超越に由来する心の特性が関係しているそうです。なるほどー!ボケたから騙されたのではなく、老年的超越に達した故の心の優しさのせいなのか!信じやすくなっちゃってると!皮肉な話ですね。。プナン族に学ぶ「今、ここを生きる」幸福のあり方本書の最後に登場するのが、プナン族という東南アジア・ボルネオ島の先住民族です。彼らの生活スタイルは、私たちの感覚からするとまさに“別世界”。たとえば:「ありがとう」や「ごめんなさい」といった謝辞の言葉が存在しない時間や数の概念が極めて曖昧「将来」や「夢」などの未来志向の思考もない「反省」や「絶望」といった過去を悔やむ感情もないそんな彼らの一日は、朝起きて「今日は何を食べようかな」と考えることから始まり、それがその日1日の“予定”になるような、とてもシンプルなものです。これを聞いてすぐピダハンを思い出しました。まさに彼らも数、時間、の概念もない、過去も未来も考えず今だけを考えて生きる民族。そして幸福な民族でした。