今回は、渋沢栄一の「論語と算盤」の現代語訳版を読んでみました。ずっと前に読もうとして挫折してたんですが、今見たら当時なぜ挫折したのかわからないくらい読みやすいし為になることばかり書いてある。非常に共感できる素晴らしい本だと思いました。資本主義に歯止めをかける仕組み・論語ここでいう算盤(そろばん)とはビジネスのこと。渋沢栄一は当時の日本を強くしていくために実業が重要だと思っていた。でも当時の日本ではビジネスに対してあまりポジティブに思わない人も多かった。当然、ビジネス面でも強くしていかないと国際社会で戦っていけない。しかし、資本主義は行き過ぎると暴走し利益に走りすぎ人を不幸にもする。そこで資本主義・実業に歯止めをかける仕組みとして「論語」が必要だ。と言う話。一言で言うと、「誠実」にビジネスをしよう!という話。本当にその通りだと思う。そして、昔の人が書いた本なのに、当時の日本の課題が今の日本の課題と殆どに変わらないのが興味深い。士魂商才|新渡戸稲造の「武士道」と合わせて考察渋沢栄一の言葉、「士魂商才」。これはすごく興味深い話。「武士の精神」と「承認の才覚」の両方が必要だと。ただ、これは「武士道」の話をしてから読むとより一層素晴らしさを感じると思いました。まずは、武士道の話を少し書いてみたいと思います。以前、新渡戸稲造の武士道を読みました。「論語と算盤」を読みながら、新渡戸稲造の「武士道」で言われていた2つのことを思い出しました。1つ目:宗教と道徳新渡戸稲造はベルギー人に、「日本の学校では宗教教育がないのですか?」と聞かれ、無いと答えると、「宗教教育がない?では日本人はどのようにして道徳教育を授けるのか?」と問われます。それについて新渡戸稲造考える。自分の中に確かに善悪や正義・道徳がある。これは一体どこからきたのか、、、と考えた時、それは「武士道」だった。そう書いています。2つ目:数学を学ばない武士道武士の教育科目は、剣術・弓術・柔術・馬術・槍術・戦略戦術・書道・道徳・文学・歴史などがあるそうです。しかし、軍事に関する教育科目にもかかわらず、あえて「数学」が無いのです。理由は、「武士道は損得勘定を考えず、むしろ貧困を誇るから」。そして、「無報酬・無償であることに仕事の価値がある」。教師や僧侶といった職業も、「報酬は金銭で支払われるべきものではなかった」、と。渋沢栄一の「士魂商才」前述の通り、武士道は素晴らしい精神だと思います。今でも日本人は、金銭ではなく使命感や崇高な理念によって働いている人がいると思います。特に教育や医療関係の人だったり、国や人々のために身を粉にして働いている人たちです。この人たちの働き方には、武士道のような精神が受け継がれていてそう突き動かされているのかもしれません。しかし、この「武士は食わねど高楊枝」の思想は、どう考えても資本主義経済と相性が悪いですよね。それではビジネスは成り立たない、と。実際、武士道は武士を中心に学ばれていて、商人たちの間では流行っていなかったようです。おかげで商人向けの道徳教育がなかった、と。渋沢栄一はそれを問題視していました。そこで、「士魂商才」という発想です。武士の魂とビジネスの融合です。武士道のいいところを取り基本的な道徳を持った上で、数学を学ばない武士道の弱点を補っているのかなと。争いについて渋沢栄一は、争いや競争は必要だ、と考えているようです。好んで争うことはしないが、必要な時は争う、と。「敵国や外患ないと、国は必ず滅んでしまう」という孟子の言葉を引用しつつ争いも重要だと説いています。と言いながら、結構バランスを重視するタイプのようで、争わずに時期をゆっくり待つのも大事、とも言っています。物事には原因と結果があり、すでにあることが原因でこの結果になっているのに急に横から割って入ってもうまくいかない、と。そう言う時は争わず、気長にチャンスが来ることを待つことも大事、と言っています。極端に走らず、バランスをとりにいく人のような印象ですね。ただ、「争いを避けて世の中を渡ろうとすると、善が悪に負けてしまうことになる」のでそう言う時は争いは大事、と言っています。勉強になります。憎みながらも相手の美点を知る渋沢栄一のところにはたくさん手紙が来て、結構失礼な手紙、しょうもない輩からの手紙も多いそうです。それに対して、できるだけ全て読み直筆で返すそうです。理由は、「悪人が悪人のまま終わるとは限らず、善人が善人のまま終わるとも限らない」からだそうです。直筆で返し、できれば悪人が良くなるように導きたい、という話。確かに。人をその瞬間の状況が以下に悪くとも、将来はわからない。その懐の広さは僕も意識していきたい。ひたすら人格を磨く現代の青年が切実に必要なことは道徳を磨くことだ。と言っています。それは現代も変わらないですね。僕も今自分に必要なのは自分の道徳心を磨くことだといろんな本を読んでいて思います。(昔に書かれた本なのに、本当にこの本で言ってる課題は現代の課題と変わらないのがほんと面白い。)この当時、儒教は古いとして退けられてしまった。しかし変わる宗教もないし、明治時代になって新しい道徳が生まれたわけでも無い。思想界は混乱状態で人々は何を信じたらいいかわからない。と渋沢栄一は言いいます。今の日本もおんなじ感じですかね。。「だから私は、青年に対してひたすら人格を磨くことを勧めるのだ」と。キリスト教と孔子の比較キリスト教の「愛」と孔子の「仁」殆ど一致しているのでは無いか、と書かれています。キリストは「自分にして欲しいことを、人にもしなさい」と教えているが、孔子は「自分にしてほしく無いことは、他人にもしない」と反対に教えている。これが印象の違いを生んでいる、けど同じことを言っている、と。この辺を読んで素晴らしいと思ったのは、新渡戸稲造の武士道でもそうだったが、渋沢栄一もキリスト教や海外のカルチャーを非常に深く学んだ上で、良いところや日本との類似点・相違点を分析し、日本のために役立てようとしているところ。当時の日本人の偉人たちは海外から非常によく学び、にもかかわらずただの真似ではなく日本のカルチャーを生かしながらどうすればいいかを考えていたのだな、、、と感動します。孔子には奇跡がないもう一つキリスト教と孔子の比較で興味深い点は、渋沢栄一は、キリスト教と比較し孔子は「奇跡が一つもない」ところが高く信頼できる、と言っています。「もちろんキリストはすごい人なのでそう言った奇跡がなかったとは断言できないだろう」のようにフォローをしつつも、「この奇跡を信じるなら迷信に陥ってしまわないだろうか」、と懸念しています。この「奇跡の有無」という違いに着目した点は興味深いですね。たしかに、と思いました。孔子は宗教ではなく神ではなく、ただの人なので、現実的な教えですよね。実業家である渋沢栄一らしい意見だと思いました。現代でも通用する「論語と算盤」当時明治時代に書かれたこの本の日本の課題と、現代の日本の課題はそんなに離れていない気がします。志を立てて進もう。ビジネスによりすぎていて成果主義になりすぎず、誠実にビジネスをしよう。若者は道徳心・人格を磨かないといけない。最近の教育は教育科目が多すぎて勉強に忙しく、人格を磨いたり実践で学ぶ時間がない。などなど、現代に通じる課題です。とても勉強になりました。まずは、自分の会社を、誠実に運営していきたいと改めて思いました。