こんにちは、Wataruです。今回読んだのは、池上彰さんと入山章栄さんの共著『宗教を学べば経営がわかる』です。僕がこの本を手に取った理由は、「宗教」と「経営」という、一見関係なさそうな二つの言葉ですが、経営にはもちろん興味がありますし、宗教のことは全然わかっていないので、学ぶ良い機会かもとなんとなく興味を持って読み始めました。冒頭でこの本はこんなふうに語ります。「宗教は経営であり、経営は宗教である」。要するに、宗教も経営も「人」と「組織」を動かすための仕組みであり、根底にあるのは「信じることに向けた行動」。つまり、「信念」と「共感」と「行動」でつながっているという話です。なるほど、そういう見方もあるのかと思わされました。腹落ち、センスメイキング理論の重要性この本で強調されていたのは「腹落ち」の重要性。自分たちが「何のために」会社をやっているのか。100年後の未来に向かって、どんな社会を作りたいのか。その想いやビジョンに、社員一人ひとりが心から納得して動く。これが重要だというのです。この「腹落ち」の概念は、「センスメイキング理論」というそうです。スティーブ・ジョブズ、セールスフォースのマーク・ベニオフ、イーロン・マスクといった世界の起業家たちは、実はみんなこの「センスメイキング」を極めていると。たとえば、イーロン・マスクが掲げる、「人類を火星に移住させることで人類の絶滅リスクを減らそう」という壮大なビジョンは、まさに「イーロン・マスク教」とも言えるような、宗教的な世界観を持っていると言っています。。それに共感し、腹落ちした優秀な人材が世界中から集まってくるという話には、確かに、と納得させられます。そう言う意味で、会社も宗教も似ている、ということですね。地図が「正しい」かよりも、地図が「ある」と思い込めることこの本の中で特に印象的だったのが、ハンガリー軍の偵察部隊が遭難したときのエピソードです。昔、ハンガリー軍の偵察部隊がアルプス山脈で猛吹雪に遭い遭難したそうです。テントに避難したものの、吹雪は一向に収まらず、このままでは全員凍死する……という極限状態に置かれたそうです。しかも誰一人として地図を持っておらず、普通に考えれば下山はほぼ不可能。しかし、そんなときに隊員の一人がポケットから地図を見つけた。それを見て隊長をはじめ全員が、「これで下山できるかもしれない」と希望を持ち、腹を括って行動を開始。猛吹雪の中、リスクを取りつつ進み、結果的に全員が無事に下山できたのです。しかし。下山後に確認したところ、その地図をみてみて驚愕したそうです。なんとその地図はアルプス山脈のものではなく、ピレネー山脈の地図だった。まさかのホラーな展開。つまり、全く間違った地図だったのです。それでも全員が「この地図があるから大丈夫だ」と思い込めたことで、腹落ちし、希望を持ち、決断し、行動に移せた。それが奇跡的な生還を導いたのだという話です。このエピソードから語られるのは、「センスメイキング」の本質です。正しい情報かどうかよりも、みんなが信じて納得できること、つまり「腹落ち」することの方が遥かに重要であるという教訓。組織を動かすには、必ずしも“正解”が必要なわけではなく、「これが正解だ」と納得して動ける土壌があることが鍵になる──まさにセンスメイキング理論の象徴的な例だと思いました。急成長する企業は良い意味で「宗教的」?著者たちは、企業が急激に成長するときの様子が、ある種の新興宗教のように見えたと語っています。たとえば、かつてのリクルート創業期。当時は、創業者を崇拝するような空気があり、社員たちは残業時間なんて気にせずに営業成績を追いかけ、大口契約が決まるとオフィスでくす玉を割って祝ったり、まるで大学のサークルのような盛り上がり方をしていたそうです。このような情熱と熱狂の構造は、まさに新興宗教が信者をどんどん集めて拡大していくときの構造と非常に似ている、というのがこの本の指摘です。「宗教」と聞くとネガティブに捉えられがちですが、ここでは“良い意味での宗教的構造”──つまり、「腹落ちできるビジョン」や「情熱を共有する仲間の存在」、「強く信じる何かに向かって突き進む力」のようなものが、組織のエネルギー源として機能しているという話です。そう言う意味で、なんでも宗教的だと。スタートアップも、インフルエンサーも、アイドルの推し活も。経営者としての自分に置き換えてみて思ったことこの話を読んで、僕自身もふと思いました。自分の会社で、そんなふうに人を引きつけるようなビジョンとか、熱狂するカルチャーが作れているかというと──正直、全然そんなことはできていないなと。将来的にそういうチームや仲間をつくっていきたい気持ちはあるけど、まだ明確なイメージが持てていないし、それを実行に移すための土台もないな……と痛感させられました。イメージできない、、、ってのは問題ですよね。葬送のフリーレンで、「魔法の世界ではイメージできないものは実現できない」と何度も言っています。今の僕にはそのレベルでイメージできていないのでまだ実現できないということでしょう。これは課題ですね。センスメイキングに必要な要素この本では、「センスメイキング」(腹落ち)を組織で広げていくために必要な要素がいくつか紹介されています。特に印象に残ったのが以下の3つです。何よりも経営者自身が腹落ちしていること 自分がワクワクする未来、自分の夢を本気で信じて語ること。これは当たり前だけど、できていないと誰もついてこない。経営幹部や中間層がそれを理解し、部下に伝えていくこと トップ1人の発信力では限界がある。ビジョンやパーパスを理解して、共に広げてくれる“仲間”の存在が不可欠。パーパスやビジョンをきちんと言語化し、映像や絵などで未来を可視化して伝えていくこと ただ言葉で語るだけでなく、未来像をリアルに“感じられる”ようにしていく工夫。これが社員や周囲のステークホルダーに影響を与える。これらの話を読んで、改めて自分にできているか?と考えると、まだまだだなと思いました。でも、少しずつでも考え始めることが大事なんだと思います。「両利き経営」とは何か?──「知の探索」と「知の深化」のバランス本書の中で、入山さんは「両利き経営」というユニークな表現を使って、現代の企業経営に求められる知のあり方を語っています。ここで言う両利きとは、「知識を探索する」ことと「知識を深化させる」ことを同時に両立するという意味。つまり、「知の探索」と「知の深化」のバランスをいかに取るか、というのが重要だという主張です。多くの企業は「知の深化」に偏りがち多くの企業は、すでに持っている知識やノウハウを使って、さらに改善していく「知の深化」にどうしても偏ってしまう。なぜなら、「新しいことを探す=知の探索」は、失敗のリスクが高くて、実らないことも多いから。まぁ、要は新しいチャレンジはうまくいかないしよくわからないから、慣れてる業界で慣れてるプロダクトの対して掘り下げることばっかりしちゃう、ってことですよね。とても普通のことですよね。そして、みんなわかってるけど、どの業界もどの会社もなかなかできないことですよね。失敗を許容する文化と、センスメイキングこの「知の探索」を企業で実行するには、当然ながら失敗を受け入れる文化が必要です。つまり、「新しいことをやる価値がある」と社員全員が腹落ちできるパーパスや理念が不可欠だと。ここでも出てくるのがセンスメイキング(腹落ち)の考え方。ビジョン、パーパスや理念に腹落ちできていなければ「知の探索」は続かない。たしかに。昔いた会社で、経営者がベンチャーのカリスマみたいな人でしたが、その経営者は、「チャレンジを常に推奨」するカルチャーを提唱していました。「失敗を許容する」文化です。彼を信望するメンバーはみんなどんどんチャレンジをしどんどん失敗し、でもそれを変に責められることなくまた前向きにチャレンジし、たまに成功する、、、ということを繰り返している会社でした。このカルチャーの醸成は、まさに腹落ちできる理念を社員全体に共有できていたんだなーと、改めて尊敬の念を感じます。人は物語を信じる──宗教と経営、そして「サピエンス全史」や「情報分析力」とのつながりこの本を読んで私が強く感じたのは、やはり宗教の力=物語の力だということでした。宗教も、経営も、そして国家や貨幣のような社会の仕組みも、すべて人間が「物語として信じているから成立している」という点で共通していると感じました。これは以前読んだユヴァルさんの『サピエンス全史』や先日読んだ『ネクサス 情報の人類史』にも通じる話です。サピエンスは、ネアンデルタール人よりも力があったわけではないけれど、「目に見えないものを、共通の物語(フィクション)を信じる力」があったからこそ、協力して大きな集団を作れた。認知革命の話ですね。国家、宗教、貨幣などはフィクションのたまもの。それが人類の進化の鍵だった、という話でした。一方で感じた「もやもや」──物語の偏りと限界ただ一方で、なぜ私たちは「物語」ベースでしか動けないのか?という、根源的な疑問も湧いてきます。これも先日読んだ『情報分析力』の内容と重なる部分で、世界のあらゆる情報は、どんなに客観的に見せかけても必ず「どこかに偏りがある」。日本には日本の視点、アメリカにはアメリカの視点、中国にもロシアにも、それぞれ異なる物語がある。どこが正しいというわけではなく、どの国もそれぞれ「偏っている」といいます。情報分析力の著者は分析を仕事とする人ですが、彼は、日本人として日本で生きていく以上日本の視点での偏りで分析する、という立場を取っている。という話を思い出しました。逆に、長期的で完全にフェアな視点(例えばAIや神、宇宙人から見た視点)で分析する意見については、「神の視点で情報分析を行うのは公平ではなく、それは思い上がりだ」とまで言っていました。この宗教と経営の本を読み、「情報分析力」や「サピエンス全史」の内容も思い出して思ったのは、人は物語なしで動けないのか、、、というモヤモヤ感です。物語なくしては人は動けないのか。前に、「ダーウィン事変」という漫画を読んだ時、「仮に他の動物たちが英語を覚えたとしても、人間とはほとんどコミュニケーションが取れないだろうね」というセリフがありました。これ、、、偏った架空の物語を信じていてその前提がないと我々がコミュニケーションできないってことかなぁと僕は解釈しています。逆に言うと、サピエンスでなければ物語に依存しない組織や仕組みの作り方ができるのではないか。ならば我々もやり方はないものか、、、なんて思ったりしました。正しさより「納得」を──物語が必要な人間という生き物理想を言えば、物語に依存せず、AIのように全体を俯瞰してみれて正しい判断を下し、私たちがそれに従える世界があるとよいのかもしれません。でも現実の私たちは、正しいだけでは動けない生き物なんですよね。結局のところ、いくら正しいことでも、それをどう物語として伝えるか。人の心に届くように、行動を促すように語れるかが、経営でも政治でも、教育でも重要になってくる。だからこそ、「正しい物語を紡ぐ努力」が必要なのだと。色々考えさせられる、面白いテーマでした。