今回は、貫井 徳郎さんの小説を初めて読みました。『乱反射』という本です。2011年くらいに書かれた作品で、ものすごい作品でした。以下ネタバレ全開でいきますのでご注意ください。冒頭から強烈で、「これはある一人の幼児の死を巡る物語である」という一文で始まります。つまり最初から、その幼児が物語の中で亡くなることが確定しているわけです。僕自身、子どもがいる立場なので、その時点で読むのがつらくなりそうな予感がありましたが、気持ちを抑えて読み進めました。結果として、やはりすごい話でした。今日はその感想をお伝えしていきたいと思います。壮大なバタフライエフェクトの話これは、壮大な「バタフライ・エフェクト」の物語です。蝶の羽ばたきが遠くの気象を変えるように、ほんの小さな出来事や選択が巡り巡って大きな結果を生む——そんな連鎖が描かれています。しかもテーマは「犯罪」。登場人物は本当にたくさんいて、どれもごく普通の人たちです。でも、その人たちがするのは、罪には問われないレベルの「ちょっとした悪いこと」。誰しもがうっかりやってしまいそうな小さな過ちです。例えば――旅行前に生ゴミを家に置いておけず、コンビニに捨ててしまう腰痛があまりにひどく、犬の糞を拾えず放置してしまう病弱な体質で、軽い症状でも緊急病院を使ってしまう自己満足のために街路樹伐採の反対運動をしてしまう家族のための丁寧な掃除が行き過ぎて潔癖症になり妻にもさわれなくなってしまう妹が欲しがった大きな新車をねだって買ってもらい、運転を苦手とする姉が車庫入れに苦労するどれもこれも、単体では「大したことじゃない」行為です。けれども、これらの出来事が少しずつ絡み合い、やがて一つの悲劇へとつながっていくのです。以下は完全なネタバレを含むため、ご注意ください。ネタバレ:乱反射この結果どうなったかというとですね、まず、この潔癖症の方は街路樹のチェックをする仕事をしてるんですね。街路樹が腐っていないか、倒れたりしないかをチェックする、非常に大事な仕事。市に委託されてチェックするようになっている。ですが、とある主婦の方たちが集まり、反対運動を行っているんですね。「緑を大事にしろ」と。彼女たちは特に悪意があるわけではなく、「緑があった方がいいじゃないか。道路拡張は大事かもしれないけど、緑を切らなくてもいいんじゃないか」というところから反対運動が始まった。そこは全然いいのかもしれないですが、結果として、何の罪もない“木のチェックをする人”がチェックできなくなってしまっていた。でも仕方がないということで、反対運動の人がいなさそうな、早朝にチェックをする。早朝なら反対運動もいないだろう、ということで社長と相談し、朝にチェックしに行くことになった。で、朝にチェックすることになったらどうなったかというと、毎朝犬の散歩をしているおじいちゃんがいるんですが、そのおじいちゃんが腰が痛すぎて、犬の糞を片付けられなくなっていた。罪悪感はありながらも、その犬はいつも同じ木の根元に糞をするので、特定の木の根元に置きっぱなしになっていた、ということですね。しかし、早朝そこに行ってチェックをしていた担当者は例の潔癖症の方だったので、糞があるだけで作業ができなかった。しかも、幸か不幸か、その木はもともと道路拡張のために伐採する予定だった。だからこそ伐採反対運動をしているおばちゃんたちがいたわけですが。そのため、その潔癖表の人は、「どうせ伐採するのに今チェックする必要がそもそもあるのか。大したことないだろう。何ヶ月後には伐採されるんだったら、わざわざチェックしなくてもそんなに罪じゃないだろう」という気持ちもあり、さらに犬の糞の近くには近寄れないのもあって、罪悪感を抱えながらも、その“木1本だけ”チェックせず、他の木はすべてチェックして仕事を終えました。これが結果的に腐敗の見落とし原因になり、木が倒れ、それが1人の1歳の男の子とそのお母さんに直撃するわけですね。お母さんも倒れてしまいましたが、直撃は免れたのか大丈夫でした。ただ、小さな1歳の男の子の頭に当たり、血がドクドクと出ている状態に。ここで当然、急いで叫びながら救急車を呼ぶ。救急車は来てくれるのですが、なかなか来ない。なぜか渋滞に巻き込まれているのです。なぜ渋滞に巻き込まれているのか。それは、とある姉妹の妹が、姉ちゃんが運転が苦手なのにも関わらず大きくてかっこいい車をお父さんにせがんで買ってもらい、結果、姉ちゃんがうまく車庫入れができなくなっていたから。しかも、その家は道路に面していて、車庫入れのときに一回道路の前で作業しなければいけない。だからその車線の車が止まってしまう。姉ちゃんは苦手なのが分かっていたのに、納車したばかりの車を家の中に入れようと頑張っていた。しかしあまりにも時間がかかる。うまくいかない。いつもよりかなり大きな車で、なかなか車庫入れができない。そんな状況で、周りの車たちは待たされているのでクラクションを鳴らす。クラクションで彼女はさらにプレッシャーになり、より一層車庫入れができない。パニック状態。「だから私は無理だと言ったのに」という気持ちでパニックになり、その車から降りて、路上に置いたまま抜け出してしまった。それで交通渋滞が発生し、救急車が通れない。そんな状態に。なんとか渋滞をくぐり抜けて救急車がたどり着きました。が、今度は救急の患者を受け入れてくれる病院が見つからない。お母さんはすごく心配です。「なぜですか、すぐそこに病院があるのに。なぜそこじゃダメなんですか」。なぜなら、その病院には“ただの風邪”にも関わらず深夜の緊急病院を使う人たちが増えていたから。救急病院に運び込まれる人の数が多すぎて、受け入れられない。これは、一人の病弱な人が人に教えたために、「風邪をひいたら救急病院に行けばいいよ」というのが学生の間で流行ってしまった、という問題もあり、受け入れ先がなくなってしまっていた。こういうあらゆる不幸が重なり、結果、病院に運ばれるのが遅くなり、手術が間に合わず死んでしまった――という話です。これに伴って、主人公の父親(その子の父親)は新聞記者だったので、一人一人調べ、問い詰めるわけです。「犬の糞を片付けなかったですね、あなたは。自分のせいだと思わないですか」とか。車庫入れがうまくいかなかったお姉ちゃんのところには「あなたが交通渋滞を起こしたせいで私の子供が死にました」と。あるいは、ただの風邪にも関わらず緊急病院に行った人には「あなたが緊急病院に行ったせいで――ただの風邪なのに行ったせいで――私の子供は受け入れられずに死にました。あなたはどう思いますか」と、一人一人に問う。「あなたの反対運動のせいで私の子供は死にました」と。しかし、それはごくごく普通のことで、みんな自分のせいだと思っていない。「私のせいじゃない」と怒るだけ。誰も受け入れてくれません。そのことに混乱しながら彼は生きていき、最後の最後に一つのことを思い出しました。コンビニにゴミを捨てようとしたときに、「そういえば旅行前に僕が生ゴミを捨てたことがある」。そのときハッとして、他の人たちもそういう気持ちだったんじゃないか、と。たったコンビニに生ゴミを捨てるような、ちょっとした、誰しもがやってしまうような罪悪感によって、それが回り回って自分の子供を殺したのか――と。そういう話でした。乱反射:感想「僕は何を思えばいいんだろう。僕は何を感じればいいんだろう」という昔の歌(イエモン)の歌詞を思い出しました。本当に、これは何を思えばいいのか、、、すべて、誰しもがやってしまう小さいこと。当の被害者である父親でさえ、コンビニに家のゴミを捨てるというみんなと同じレベルの悪事を働いてしまっていた。たまたま被害者側になっただけで、加害者側となんら変わらない。これは、いかなる小さな悪事さえしてはいけない、という教訓なのか。あるいは、身内の死のレベルでも人のせいにしてはいけないという教訓なのか。僕が思ったのは、被害者の奥さんが息子の死以降、ずっと塞ぎ込んでいたのが、最後に旅行に行くという場面があって、、、そこまで回復できて本当によかったと思いました。村上春樹の話だったら自殺してたんじゃ無いかと思ってたり...汗なので、僕の教訓は、身内に仮に不幸になっても、「気持ちを切り替えて残った家族を全力で守る」でした。別のメンタル系(だったかな?)の本で、以下のような話があった。対向車線の相手の無謀な運転のせいで家族のうち妻と息子が死んでしまった。それに対し2つの選択肢がある。「一生をかけて相手に報復する」か、「相手のことを完全に忘れ、残った二人の子供を幸せにするためにすべてを捧げる」か。僕は後者を常に選べるようにしたい、、、難しいけれど!昔からハンターハンター第1巻で「あらゆる残酷な空想に耐えておけ。いつかくる、、、別れ道に備えて」っておばあちゃんに言われてたけど、まさにこの本はそのための「良い残酷な空想」でした。