以前、出張の際に高校の先生とご一緒させていただいた。探究学習のスーパーティーチャーをしてる方でしたが、元々は国語の先生ということで、「国語の先生視点でおすすめの本は何ですか?」と図々しくも聞いてみたところ、『柚木麻子の「らんたん」は良い。』とおすすめされたので読んでみました。たまたまこの直前に柚木麻子さんの「BUTTER」も読んでいたので、ちょっと運命的でわくわくして読みました。明治時代から始まる舞台。偉人との関わりこの本は、舞台が明治時代から始まる。とある女性が留学などの経験を経て女子教育に力を注ぎ学校を作る話。現在の恵泉女学園の創立者「河合 道(かわい みち)」の実話を元にしたフィクションである。これは本当にすごい本。この本オリジナルの登場人物が物語を展開するが、脇役として歴史上の有名人物が出てくる。例えば序盤では以下のような人が登場。師匠的な立場の「津田梅子」。颯爽と登場し悪漢を退け教えを施す「新渡戸稲造」。突然ヒロインにプロポーズしてくる「野口英世」。こんな感じで、脇役が超強力だ。たとえば幕末ものの場合、新選組が途中で出てきても「お、出てきたな」って感じで、当然出てくることが予想できた上でそれを楽しむ構図である。しかし、明治時代ってよく分かってないので(僕の勉強不足で...)、誰が出てくるのか想像がつかない。でも名前だけは知ってる有名人がどんどん出てくる。おおー、この人が出てくるのか!と。これは僕にとって新しい面白さだ。また、キリスト教もこの本の大きなテーマの一つ。序盤から神道とキリスト教の教えの違いなどについて大きく取り上げられてもいる。本と本が繋がる感覚最近読書をしていてよく感じる「この感動」をどう伝えたら良いのだろう。らんたんの感想に入る前に少し最近読んだ本を紹介したい。少し前に、たまたま遠藤周作の「沈黙」を読んだ。ゴリゴリのキリスト教の話である。キリスト教の教え、宣教師、踏み絵、拷問・・・。この本で初めてキリスト教の一端に触れられた気がする。また、この本にも出てきた新渡戸稲造の「武士道」。これも少し前に読んでいた。新渡戸稲造はキリスト教の洗礼を受けアメリカ人と結婚した人だ。彼は、「宗教教育がない日本はどうやって道徳を身につけさせているのか?」という問いをうけ、考えさせられたのち、『自分の中の道徳は武士道から来ている』と思い、海外向けに日本の理解を促すため「武士道」という本を英語で書いた。東洋の孔子・孟子、儒教・仏教はもちろん、キリスト教を含めた西洋文化を引用しながら丁寧に比較・説明し、日本の文化を解説してくれている。現在も海外の人に多く読まれている、素晴らしい本だと思う。また、先日渋沢栄一の「論語と算盤」を再読した。士魂商才といい、武士道とビジネスの両方が必要だ、と解いている。そしてその中でも孔子とキリスト教の比較をしていた。これらを読んでいたことにより、僕にとっては、より一層この本「らんたん」の本が面白くなっている。本書ではキリスト教に関する話が常に出てくるが、遠藤周作の「沈黙」を読んでいたおかげでキリスト教への視点が一つ増え、読んでいない場合と比較しまた違った印象で読めた気がする。話に新渡戸稲造が登場すると、「武士道」を読んでいたからこそ新渡戸稲造の思想を感じながら人物をイメージすることができ、言葉に重みを感じられる。また、武士道の中では「武士の教育科目の中に数学がない」という話が出てくる。武士は貧困を誇るため、身分の高い人間ほどお金や商売に疎い方が良い、と。この「らんたん」の中に出てくるとあるお父さんは元神道で神職の方。お金がないのに仕事をしても報酬を受け取ろうとせず、奥さんがイライラするという場面が出てくる。これぞまさに武士道の精神だろう。教師や僧侶といった職業はプライスレスなのでお金ではない、という考えが武士道だと新渡戸稲造は言っている。でもそれゆえに商売においてはこの奥さんのように実生活で困る場面が出てきて当然だ。それに対し、渋沢栄一の主張は「士魂商才」。武士の魂と商売の才能の両立が必要なのだ。武士は食わねど高楊枝、では商人は飯を食っていけない。でも商人に道徳がないと営利主義に走りすぎ酷いことになる。武士道とビジネスのバランスが重要だと。渋沢栄一は、これまでは武士道が武士の間だけで流行り、商・工業に携わるものに浸透していなかったことで商売の世界における道徳が広まっていなかったことを課題視していた。それゆえに書いた「論語と算盤」。実業界から日本を建て直そうとした渋沢栄一らしい観点だ。ぜひ先述の元神道のお父さんに読ませてあげたかった一冊だと思った。・・・という感じでこの本の一つの場面を読んだだけでも、他の本を読んでいたことで感想が膨らみ、より一層学びの多いものになっている。さらに、これも本当にたまたまだが、ごく最近太宰治「人間失格」を読んでいた。この「らんたん」にも太宰がイケメンキャラとして出てきていた。人間失格を読んでいたおかげでこの場面も面白かった。また、最近子供が、漫画で書かれた偉人の本が好きで、「津田梅子」や「新渡戸稲造」の漫画版の伝記を買ってあげていた。おかげで僕もついでに読んでいたので津田梅子・新渡戸稲造の基礎知識を少しでもインストールできていた。すべて偶然だが、たまたま読んでいた本たちのおかげでこの本をより楽しむことができた。この偶然をどう解釈しようか。まるで誰かが僕が「らんたん」を読むために必要な本を事前に読ませていてくれたのでは?という錯覚が起きるほどの感動だ。いや、もしくは、これまで「駄作だ」とか「読みにくいし書き方が下手だな」とか思っていた本もすべて、「自分がその本を読むために必要な本を読んできていなかっただけ」ではないか?とさえ思える。いや、実際そうなのだろう。もっと若い頃からたくさん本を読んでおけば、一体どうなっていたんだろう、と思ってしまう。逆に多くの本を読んできた人たちは、たった一つの情報に触れても僕がそれをみた時と比較し、遥かに多くの情報を得ているのかもしれない。その通りだとするならば、読書のリバレッジの効き方は半端ない。津田梅子、岩倉具視使節団津田梅子の回想シーンで、岩倉具視使節団と共に船に乗って留学する場面がある。当時6歳の津田梅子、ほんとすごいなと思う。同船するのは岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、、、といった大御所ばっかりだ。よくこんなメンバーを一つの船に乗せて送ったものだと恐ろしくなる。そして当然男性ばかり100名くらいいて、女性は若い女の子たち5名だけ。そんな中で、とある女の子が船の中で性的被害にあったような描写が出てくる。被害者の女性たちが大久保利通や伊藤博文に掛け合ってもそこまで重くは取り合ってくれず嗜められてしまう。確かにそんな閉鎖的な空間では起こりそうな話だし、特に今と違ってセキュリティも曖昧で女性の扱いも雑だろうから...どこまで史実なのかはわからないが、教科書にも出てくるような有名なイベントでそんなことが行われていたかと思うと恐ろしくなる。関東大震災物語中盤、大震災が起きてしまう。歴史上、起こることは決まってて分かってるはずなのに、地震の場面をみて驚き恐怖してしまった。この物語の舞台である明治〜大正〜昭和時代を生きた人たちは本当にすごい。明治維新以降、海外から技術や思想を学び、日本をどんどん成長させ、そこから大震災、戦争という地獄をの中で生きていく。我々の先祖はそんなことを乗り越えられる人たちだったのかと今更ながらに思わされる。関東大震災で東京は焼け野原になった。クレーン車やトラクターなんて一体どうやって復興したのか。ちょっと調べてみた。震災後すぐに復興を担う機関を設立し、迅速に都市計画・街区整理・道路整備・橋梁建設などを含む総合的な復興計画案を策定したそう。すごい、、、もし自分がその計画の担当者だったらと思うと、、、震えがくる。。何から手をつけていいかも全くわからないはず。当時の日本でそれを整理・立案・調整・実行できる人たちがいたのかと思うだけで感動する。大震災は、日本に住む我々には不可避の存在。これから数十年のうちには必ずあるだろう。覚悟と準備が必要だ。太平洋戦争先日、日本終戦史1944-1945-和平工作から昭和天皇の「聖断」までという本を読んだ。いかに戦争を終わらせることは難しいのか、という本だ。日本のそれぞれの立場の人も終わらせたいと思っていた。必死に終わらせる方法を考えていた。終わらせたいのに終わらせられない。その難しさを改めて深く実感させられる本だった。「らんたん」の中でも第二部の後半でついに太平洋戦争が始まってしまう。その中で主人公たちが作った女子学校も通常の運営・教育ができなくなる。先述の「日本終戦史」本と異なり、意思決定する立場ではなく、振り回されてしまう多数の国民目線・現場視点の話だ。その視点だとやはりまた印象も変わる。「女が手を取り合わなければ、男たちはすぐ戦争を始めてしまう」という名台詞がこの本の中でなんども出てくる。先述の「日本終戦史」や他の戦争関連の本を読んでいると、誰もが戦争をしたいわけではないのに他に選択肢がなく追い詰められてそうするしかなくなっているように思える。選択肢AもBもCも最悪、その最悪の選択肢の中で、まだ戦争を仕掛ける方がマシ、だと。だから「女たちが手を取り合えば男たちは戦争ができなくなる」という理想は素晴らしいが、どうしても綺麗事に感じてしまう。そう思いつつも、でも、もしかしたらやっぱりその通りなのかも、とも思ったりした。一般的に、女性の方が好戦的ではないことの方がやはり多いだろう。自分が産んだ子供が戦争に行くことを反対する人の方が多いだろう。女性参政権があった方が戦争になりにくいという説はよく聞く。とはいえ、戦争をしないと決めて交渉に挑んでも、相手側が不平等条約を押し付けてきたり、武力で脅してきたらどうするのか。何もせず植民地になる未来を受け入れるよりは、リスク承知で先制攻撃するしかない。という発想から始まったのかと思うと、他に選択肢がなかったのではと。でももし、「女たちが手を取り合えば」が1国だけではなく世界全体であったなら。そんな世界が作れたらもしかしたら本当に戦争がなくなるのかも、と読んでいて思ったりした。キリスト教についてこの本のテーマの一つでもあると思われる、キリスト教。無宗教である僕から見たら、この本の主人公・河合道たちは少しキリスト教によりすぎているのではないか、と感じた。先日読んだ渋沢栄一の「論語と算盤」では、当時儒教は古いものとして流行らなくなっていて、かと言ってキリスト教が流行っているわけでもなく、思想業界は混乱状態だ、と書かれていた。興味深い話だ。宗教とは道徳で、宗教が無いと道徳の指標がない状態になるのか。新渡戸稲造の武士道では、「宗教教育のない日本ではどのように道徳教育を授けるのか?」という質問に対し、自分の中の道徳は武士道からきていると考えた。素晴らしい考えだ。でもそれは新渡戸稲造が武士の家に生まれたからであって、渋沢栄一曰く、商工業者にとっては一般的ではなく思想がない状態だった。そのため、渋沢栄一はビジネスをする上で「論語」が大事、と言っていた。確かに、何かの指標がないよりあった方がいいので、キリスト教でもなんでも、なにか宗教があった方がいいこともあるのだろう。でも、どうしてもモヤモヤした気持ちになる。渋沢栄一は、論語と算盤で「キリスト教と孔子の比較」をしていた。どちらも同じような良いことを言っている、と。キリスト教についてもけっこう肯定的である。その上で、「キリスト教よりも孔子の方が良いと思う点」について、「孔子には奇跡が無い」という点を挙げていた。これも興味深い話。僕のモヤモヤもそこにあるのだろう。孔子は普通の人で神でもなんでもない。ので、人生の指標として論理的に見れるのかなと。奇跡があると思ったら、論理的では無いこを信じてしまわないか、のようなことを渋沢は言っていた。僕もこれには同意する。僕のモヤモヤもこういうところなんだろうなと思う。女性の権利についてこの本もそうだし、柚木麻子さんの他の作品の「BUTTER」でもそう感じたのだが、女性であることが圧倒的に不利で、男性は本当にダメ、という視点で書かれているように見える。僕が男性だからそう思うのかもしれないが、そのように読める。でも実際そうなのであろう。男性目線だと気づかないような差別があるのだと思う。なので柚木麻子さんのBUTTERやらんたんを読んでとても気づきが多く読んで良かったと思っている。ただ、解決策を提示していないように見えるのがモヤモヤする。例えば、「差別はたいてい悪意のない人がする」という本に書かれていた話で、理工系の大学はほとんどが男性、福祉系の大学はほとんどが女性。そして理工系の卒業生の方が給与が高い。これは差別か?という問いがあった。「大学側で性別による人数制限をしてはいない。女子の方が望んで理工系ではなく福祉系に行くのだから、差別では無い」という意見が多いが、この本によると「これは差別」だと。理由は、女子が理工系に行くべきでは無いというカルチャーを世界全体で作ってしまっていること自体が差別だから、だと。なるほど、その通りなのかもしれない。データ的には女子の方が数学の成績が高いというのはよく聞く話。であれば理工系を志望する女性が多くても良いはずなのにそうでは無いのは、女性側の個々人の問題ではなく社会の問題だと。しかし、ではどうしたら良いのか。個人を責めたところで個人の力ではどうにもならず、仕組みで解決するしか無い。もちろん解決策なんてすぐ出せるものじゃ無いし、極端な施策はディストピアになってしまう。例えば村田沙耶香の「消滅世界」というディストピア的なSF小説では、すべての子どもは体外受精で生まれ、性行為も廃れ、男性が子供を産めるようになり、生まれてくる子どもはみんな「子どもちゃん」、街の大人は老若男女問わず「おかあさん」と呼ばれ全員で子どもたちを育てるというカルチャーを醸成している。間違いなくフェアだが、嫌悪感を覚える人も多いだろう。こういう課題があることを認識し、その認識が少しずつ広まっていく、、、のが良いのかな。河合 道の人生この本の主人公である「河合道(かわいみち)」は、実在の人物だと途中で知って驚愕した。今も続いている、恵泉女学園という学校の創立者だそうだ。こんな人が実在したのか、、、最初、津田梅子たちや新渡戸稲造といった明治〜昭和までの有名人たちが存在する世界の中に「もし河合道さんというキャラクターがいたらどうなったか?」というフィクションだと思っていたが、、、河合道さんさえ実在の人だったなんて、、、そう思うほど、彼女がやってきたことが破天荒だし、面白いくらい超有名な人たちと関わり続けている。そして行動し、結果を出し続けている。あの当時に女性でありながらキリスト教系の学校を建て、あの戦時中の中でも学校経営を続けられたのは本当に信じられない。本当に漫画のような人生だ。(もちろん、あとがきで「史実を元にしたフィクション」だと言っているので、創作部分は当然あるだろうが)この本を読んでいると、何かをしたくてたまらなくなる。自分のすべてをこの世界をよくするために注ぎ込みたい、そんな気持ちになる。そして誇らしい気持ちにもなる。河合道に限らず、日本の先人たちはこんなにも考え、行動してきてくれていたのかと。黒船から始まり開国、明治維新。留学し海外の知識を学び、そんな中で、関東大震災、戦争という地獄を味わいながらも、諦めることなく女性の教育の仕組み作りや参政権などの活動をし続けていた、、、そんな人たちがいたから今がある。本当に読む価値のある本でした。