今回は村田沙耶香さんの代表作『コンビニ人間』について書いていきたいと思います。いやー、すごく面白かったです。以前村田さんの最新作である『世界99』を先に読んでいたので読む順番が逆になっちゃったんですが、できれば先に『コンビニ人間』を読んでおけばよかった…と少し後悔するくらい、村田さんらしさが詰まった作品でした。明らかに世界99のルーツはここにある気がします。この本、海外でもめちゃめちゃ売れてるそうです。40か国以上で翻訳されていて、アメリカでも22万部くらい、イギリスでで27万部とかだったと思います。以前は「村上春樹の次に来る日本の作家は誰だ?」とアメリカやイギリスの出版社から聞かれていたのが、今では「村田沙耶香の次に来るのは誰?」と言われるほどだそうです。すごい。根っこにあるテーマが『世界99』と通じるものがありますよね。「何をもって普通とするのか?」「人に呼応・トレースすることで自分の人格が形成されていく」というようなテーマを感じます。また、結婚・出産や労働などの「普通」に対する外からの圧力。海外でも売れるということは、どの世界もこのようなテーマに同じ悩みを持ってる人が多いということかもしれないですね。普通とは何かを問う、主人公・恵子の異質さこの物語の核心は、「普通の人間とは何か?」という問いにあります。主人公・恵子は、明らかに周囲とちょっと違う感覚を持った人間として描かれています。社会にうまく適応できず、家庭や学校といった場では、ずっと「浮いた存在」だった。でも、唯一コンビニという場だけには、見事に「適合」できた、というお話です。たとえば物語の冒頭、子どもの頃のエピソード。公園で小鳥が死んでいるのを見て、他の子どもたちやお母さんが「かわいそう」と言う中で、恵子は「おいしそう」と言ってしまう。「焼き鳥にしたらいいよね」みたいな発言をして、お母さんや他の大人たちをぎょっとさせるんです。そこでようやく「あれ、自分は何かおかしなことを言ったのかな」と気づく。でも、彼女の“気づき”の仕方もまた独特で、「あ、一羽じゃ足りないのか」と解釈して「もっと取ってこようか?」と考えてしまう。そのズレ方が、もう圧倒的に異質なんですよね。さらに、誰かが喧嘩している場面では、「誰か止めて!」という空気の中で、恵子はスコップで子どもの頭を叩いて止めようとする。「これが一番効率的だ」と思って行動してしまう。でもそれはもちろん“普通”の対応ではないし、周囲はさらにドン引きする。けれど、本人にはなぜそれがダメなのか、まったく理解できない。でも、確かに、論理的には何も間違えていないですよね。死んでる鳥がいる → 鳥は食べ物である。 → みんな焼き鳥は好きだ。 → 死んでいるので捕まえやすく無料で手に入る → 持って帰って焼き鳥にする。この流れに何の間違いもないですよね。でも、売っている鶏肉と公園で死んだ鳥とを人は完全に分けて考えている。言語化せずに明文化せずにごく自然に空気を読んで。昔、「ダーウィン事変」という漫画の中で、「もし他の動物が英語を話せたとしても、人間とはほとんどコミュニケーションが取れないだろうね」というセリフがありました。人間が他の生物とコミュニケーションが取れないのは「言語」の問題ではなく、人間が考えているその背景・物語・信仰・行間といった目に見えない何かを他の生き物は全く理解できないからだと僕は解釈しました。例えば宇宙人やAIは、主人公と同じような判断を普通にしてしまうかもしれません。我々が常識だと思っているものは常識ではない、ということがこの村田さんのテーマの一つなのかなと思います。世界99の「倫理の賞味期限」というセリフにも通じるところかもしれません。このAI時代に、AIをどう制御するかにも通じるテーマかもしれないですね。コンビニは“生きるためのマニュアル”を与えてくれる場所だったそんな彼女が初めて社会の中で“評価される”のが、コンビニでバイトを始めたときです。コンビニにはマニュアルがある。そして研修がある。挨拶の仕方、笑顔、声の出し方、商品陳列の手順、お客様への対応、声がけの仕方――すべてがあらかじめ決まっていて、研修でしっかり教えてくれる。つまり、「どうふるまえば正解か」が、彼女にも明確にわかるようになります。ふつうの人なら「そんなマニュアルに縛られるのはつらい」と感じるような場面で、彼女はむしろ救われる。この感覚の逆転がとても印象的でした。たとえば、挨拶のトーンや笑顔の作り方といった“型”を、彼女は同僚や店長を観察してコピーしていく。自分の中に“平均的な人格”を構築していきます。でも同時に、彼女の中には“道徳”や“善悪”といったものが最初から備わっているわけではなく、まわりを観察して「こうすればいいんだ」と学習していきます。このあたりの感覚は、最新作『世界99』の主人公「空子」とすごく似ているなと強く感じました。社会からはじき出された存在が、自分の居場所を探し、世界の“正しさ”を必死に模倣しようとする姿。村田作品に一貫して流れるテーマが、ここでもしっかりと通底している。まさに著者が語る「作品同士の根っこのつながり」を体感できたパートでした。「なぜバイトなの?」「なぜ結婚しないの?」という“理由”を社会は求めてくるこの作品のもう一つの重要なテーマは、社会が“納得できる理由”を個人に求めてくるという点だと思います。主人公は、コンビニでバイトを始めたことで一時的に家族からの評価を得ます。「ちゃんと働いていて安心した」と。でもその安心は一時的なもので、次に求められるのは「ちゃんと就職しなさい」「結婚しなさい」「出産は?」といった“さらなる社会的正解”です。彼女は、ただ今の状態で「生きている」だけで十分と感じている。でも社会はそれを許さないんですよね。36歳でバイト、それもコンビニで、恋人もいない、結婚もしていない――そんな状態に対して、社会は「なぜ?」と問う。「なんで?」を繰り返す。しかもその「なぜ?」に対して、社会が求めているのは“納得できる理由”。たとえば、親の介護があるとか、持病があるとか、過去に虐待されていたとか。それが「ちゃんとした理由」になれば社会は納得する。でも、実際には彼女には理由がない。ただ「そういう人間なんだ」というだけ。それを受け入れてもらえない世界で、彼女は必死に“普通”を演じている。「やりたいことがあること」が最も重要かもそんなこんなで、ラストシーンには僕は本当に大満足でした。これはもう、最高のハッピーエンドだと思います。特に、前に『世界99』を読んだ影響もあるかもしれませんが、そちらと比較しても非常に「救いのある」終わり方で、読後の気持ちよさが全然違いました。話の中盤以降、彼女は社会に“合わせる”ために偽装結婚を選ぼうとします。でもその相手が本当にしょうもない男で、「うわ、こんなやつを家に入れるのか…」と読んでいるこっちがヒヤヒヤしました。。(この辺は空子との違いですね。世界99の空子は何も感情が無い子ですが変態に対する危機感などはちゃんとあったので、それがないコンビニ人間はまた違う心配が多かったです。。)最後のシーンは良かったです。たまたま入ったコンビニで、「コンビニの声が聞こえて」きます。特売のパスタが目立つところに置かれていない、売れ筋はずのチョコレートが一番下に置かれている、、、などあらゆる店に気づいてしまいます。そういった細かな“ズレ”に気づけるのは、彼女が18年間真面目にコンビニバイトをしてきた積み重ねの結果。つまりそれは、彼女にとっての「キャリア」であり、「専門性」であり、「存在理由」になっていたんですよね。「自分はコンビニのために生まれてきたんだ」と確信し、コンビニ人間として生きていくことを決めて物語は終わります。やりたいことが見つかって良かった!って思いました。コンビニだろうがなんだろうが、自分のバリューが発揮できてやりがいを感じられる何かがあることほどいいことはないと思います。ここが『世界99』との決定的な違いだと感じました。あちらの主人公・空子は、自分の“中身のなさ”を抱えたまま生きて行きましたが、でも『コンビニ人間』の主人公は、自分の中に“やりたいこと”があるんです。社会的な尺度では測れないけれど、彼女は明確な意志と経験を持って生きている。この二作を読んで僕が思ったのは、「やりたいことがある」というのは、ものすごく大事なことなんじゃないかということです。自分のやりたいことがないと、基準が全部“他人”になる。そうなると、ただ合わせるだけの人生になってしまう。『コンビニ人間』は、そんな“自分の軸を持つこと”の大切さを教えてくれる物語でした。とても良い読書体験でした。