こんにちは、代表のWataruです。今回はJ.D.バンスによるベストセラー『ヒルビリー・エレジー(Hillbilly Elegy)』を読んで感じた衝撃や気づき、そして自分自身が深く考えさせられたことについて、ブログ記事としてまとめました。きっかけはトランプとゼレンスキー大統領の対談からこの本を知ったのは、例のトランプ大統領とゼレンスキー大統領の対談の中で、J.D.バンス副大統領が突如激しく割って入り、トランプに対して「感謝が足りない」と強い口調で詰め寄る場面でした。あれを見て、「いや、、、なぜこの場面で? そんなに言わなくても……」と思ったのですが、この人なんなの?とその言動に興味を持ち、調べていく中でJ.D.バンス『ヒルビリー・エレジー』という本にたどり着きました。“普通の暮らし”がどれほど困難か:白人労働者階級J.D.バンスは冒頭で、自分や何かを成し遂げた者ではなく、本来こんな本を書くような人物ではない。と述べています。ただ、「ただ、やりがいのある仕事に就き、幸せな結婚をし、快適な家に住み、元気な犬を2匹飼っている。それだけの人間だ(中略)むしろ、私と同じような境遇に育った多くの人たちには実現できない、ごく普通の生活を送っているから本書を記したのである」と言っています。一見なんの変哲もない“普通の生活”ですが、彼の育った環境、周りの白人労働者階級の人々の間ではそれすら実現できない人が大勢いる。 この言葉に、この本が書かれた理由が凝縮されています。12歳でライフルを撃つ――祖母が体現する“ヒルビリーの正義”この本の中でも、ひときわ印象的だったのがJ.D.バンスの祖母(“マモー”)にまつわるエピソードです。J.D.バンスの家系は、“ヒルビリー”と呼ばれる白人労働者階級。アメリカの中でもアパラチア山脈周辺の、保守的で貧困にあえぐ地域に生きる人々です。そんなヒルビリーの家庭で育った祖母は、12歳のとき、牛を盗みにきた泥棒に向かってライフルを連射したといいます。「貧乏人から何かを盗む貧乏人ほどいやしい奴はいない。絶対に許さない。ただでさえみんな苦しんでるのに、なんでそんなひどいことをするのさ」このセリフが、彼女の信じる“正義”のすべてを物語っているように感じました。ライフルで泥棒を撃ち、一発が泥棒の足に命中して崩れ落ちた。その泥棒に止めを刺そうと、銃口を向けて走った彼女。最終的には親戚が割って入ったことで殺人を免れたそうですが、それが12歳の女の子の行動だったということが、私には衝撃でした。暴力・薬物・家庭崩壊が“当たり前”の世界バンスの母親は看護師でありながら薬物依存に苦しみ、再婚と離婚を何度も繰り返す。父親は定まらず、家庭は常に暴力や罵声が飛び交う環境でした。家族が割と落ち着いていた「良かった時期」に対して「皿が飛び交う程度だ」とバンスが表現していたのが衝撃的でした。夫婦喧嘩する時に皿って漫画でしか投げないでしょ、、、まさか実在するなんて。薬物依存の母と尿検査そんなバンスの母は、ある日抜き打ちの薬物検査があり、母は息子であるJ.D.に“尿を代わりに提出してほしい”と頼むという異常な出来事が起こります。つまり、検査に薬物反応がでしまうと看護師の資格を剥奪されてしまうので、息子の尿を代わりに提出させてくれと懇願するわけです。バンスはそれに対して反論します。自己責任だろうと憤慨するわけですが、それだけが理由ではなく、自身もマリファナを少しやっていたため自分の尿ではそもそもNGだと思っていたようです。(それもほんとめちゃくちゃな話ですが、でもバンスの学校では多くの友達が当たり前に薬物をやっていたりするようです)そこに例の祖母が割って入ります。事態を収めようとしながらもバンスに対し、良いことだとは思わないけどそれでもお母さんが仕事なったり逮捕されるのは嫌だろ?と嗜める。さらに、バンス自身がどのくらいの頻度でマリファナをやってるかを聞き、「そのくらいの使用頻度なら反応は出ない」と現実的な判断を下し渡してあげるように促しことなきを得ます。もうなんというか、、、超アウトロー世界を生き抜いてきたおばあちゃんならではの采配というか、、、何も良いことではないけれども、その状況で生きていくには彼女なりの正義があったんだろうなと思いました。(なんかほんと、おばあちゃんは現実の人ではなくアウトロー漫画のヒロインなのではないかと思ってしまうほどの非現実感)「顔を殴られたらどんな感じ?」――おばちゃんの教育方針ある日、小さい頃のバンスが、「顔を殴られたらどんな感じがするのかな?」と祖母に聞いたところ、次の瞬間、祖母は実際にバンスの顔を一発殴ったそうです。すごいおばあちゃんですよね。それでバンスは「意外と痛くない」と感じた。するとおばあちゃんは、「顔に一発くらっても大したことじゃない。それより、殴られることを恐れて殴る機会を逃すのはよくない。」この言葉がまさに、彼女の生き方そのもの。「正しさ」よりも「現実の中でどう生き抜くか」が優先される教育方針。そのロジックを理解できないことはないです。その状況下ではそういう考え方しかないのかもしれないと思います。その上で、ここまで今の我々が暮らしている状況と違っているのかというアウトローな漫画のような世界があるということがアウトローな文化と自己破壊の連鎖J.D.は本書で、ヒルビリー(白人労働者階級)の生活文化をこう説明します。虐待する男と付き合い、10代で出産。高利貸しで借金を重ね、大きなテレビを買い、ローン地獄に陥り、破産してゴミの山が残る。これらのヒルビリーが抜け出せない貧困問題を彼は以下のように言っています。どの本も、どんな専門家も、それだけでは現代アメリカのヒルビリーが抱える問題を完全には説明できないということだ。私たちの哀歌は社会的なものでもある。それは間違いない。ただ同時に心理学やコミュニティや文化や信仰の問題でもあるのだ。社会学、心理学、宗教、文化論、政治経済――そのどれを使っても、この世界は一部しか説明できない。それほどまでに、ヒルビリーの問題は“複雑に絡み合った現実”のようです。軍隊への入隊が人生を変えたJ.D.は大学進学前に海兵隊に入り、ここで初めて「努力すれば成長する」「契約や金銭感覚」「規則正しい生活」の重要さを学びます。さらに、BMWを買おうとしたら上司にトヨタを買えと叱責され、ローンを組もうとしたら相見積もりを取れと叱られローン金額を下げる術を覚える――。 それまで“教えてもらえなかった常識”を軍隊で体得し、彼の価値観は大きく変化します。その後、彼はイェール大学ロースクールに進学し、まったく別の世界で生きる道を手に入れる。読み終えて感じたことどれだけこの本の現実がアメリカ社会を現わせているかはわからないですが、少なくともこういう人たちが、こういう社会が、確かに存在するということを初めて理解できた。日本で「格差」や「機会の不平等」を語ることも大切ですが、アメリカ社会が抱える分断や文化的格差の重さは、想像を超えるものでした。この本を読んで大きな学びになりました。