僕は青森出身で、実は高校が太宰治と母校が同じだということをごく最近知りまして、今更ですが『人間失格』から読んでみました。僕は太宰に関して、これまで学校の読書感想文で「走れメロス」を読んだだけの初心者です。では感想書いてみたいと思います。ざっと概要雑にいうと、自分のしたいこととか自分の主張がない男が、人に合わせながら道化を演じ、笑いを取り、反射的に女性に受けるような行動をしてしまい、結果的に女性関係をどんどんずぶずぶと悪い方に向かわせ、女性と入水し自分だけ助かり、その後も流されるままに女に溺れ、酒に溺れ、薬に溺れて何もかも失い、ひたすら流されてダメになっていく、というお話です。なぜ人間失格は多くの人に読まれてきたのか?この本を読んでいる間、最初から最後まで思っていたのは、「なんでこれが売れたんだろう、、、?」という疑問です。私は太宰治について全然詳しくないんですが、『走れメロス』だけは読んだことがあります。『走れメロス』は分かりやすい、いい話ですよね。友情のために頑張ってやる。なんでそんな変な約束をしてしまったのか、みたいな疑問は置いておいて、メロスが約束し正義のためにまっすぐ走る。だけど疲れてきて心が弱ってくじけそうになるが、思い直して最後まで成し遂げる。そんな話ですよね。それは分かりやすいじゃないですか。共感もしやすい。その分かりやすさとは全く異なる『人間失格』。こちらはただただ流されてダメになっていく人の物語。最後は薬漬けになり、そういう人が行くようなところに入れられて「人間失格だ」と自分で言っておしまいである。そんな話です。救いゼロ、大逆転ゼロ、学びゼロの物語です。これは、、、なんだろう。。。と思いました。俺は一体なんでこんなもの読まされてしまったのか、、、という気持ち。主人公にいいところ、共感できるところが一つもないのです...笑弱さへの共感か、見下しか。でもなんだかんだで、そういう人間の弱いところ、流されてしまうところは誰しもあって、そういうところに共感する人がやっぱり多かったのかな、、、とか。この主人公はダメダメすぎるけど、極端なだけで自分も似たようなところはあるな、、、と。あるいは安全なところからダメになっていく人を見て「いやー、なんてダメなんだこいつは!笑」と上から目線でダメな人を見て楽しむというような、下品な気持ちなのか、、、などいろいろ考えました。村田沙耶香の世界99との類似点人間失格を読んでいる途中ですぐ思ったのは「世界99の空子」に似てるなと思いました。世界99の空子というヒロインは、自分のやりたいこととか欲求がほとんどない子。人に合わせることで自分のキャラクターを作っていくというようなタイプの人でした。それゆえに、自身は何も望まず人に合わせて複数の世界を作りながら生きていく、、、という話なんですが、本質的にはこの『人間失格』の主人公と同じような気がしました。どちらの主人公にも共通するのは「やりたいことがない」「目的がない」「欲求さえない」というところです。やりたいことや自分の欲求がないがゆえに、人に流されて生きてしまっているというところが非常に似てるなと思いました。世界99は人間失格の女性版かつ現代版なのではないか、みたいな感想を持ちました。「やりたいことがない」というリスク世界99の空子は自分の欲求が本当にない。ただ、「めんどくさいことをしたくない」とか、「変質者に襲われるのは嫌だ」とか、こういう感情くらいしかないんですよね。この人間失格の主人公もそれに近いものを感じました。子供の頃から、ご飯も食べたいと思っていない。欲しいおもちゃもない。行きたい学校もなりたい職業もない。多数の女性と関係を持つも、結果モテていただけで自分で欲しいと思って行動をとっているわけではない。飲み歩いているのも女遊びもただ逃げているだけ。空子も、人に合わせるだけ合わせて、しょうもない男ばかり付き合って、無目的に人生を彷徨っていく。『人間失格』の主人公は一番最後のシーンですごい衝撃的なことを言っていました。薬漬けになってその治療のためにそう言う場所へ送られようとしたときに、妻が何を勘違いしたか、注射器と薬を持ってきてしまう。それに対して「いや、もういらない」と言ったそうです。そのときに「実に珍しいことだ」と言いました。「何かを勧められてそれを拒否したのは、自分のそれまでの生涯においてその時ただ一度と言っても過言ではないくらいなのです」と書かれています。人から何を言われても断らずに生きてきた。恐ろしい話ですね。空子との類似性を感じます。人間失格の主人公の唯一の欲求ただ空子と違って、僕はこの人の人生の中でただ一度だけ共感したのが「絵を描きたい」「絵描きになりたい」と言った瞬間があります。その時は相手にバカにされはしたんですが、そのとき自己主張し、それがきっかけで漫画家になり、ちょっとした漫画を書いて少し飯を食っていけるようになるという場面があります。僕はこの作人の中で、そこだけは唯一、この人が初めて自分から前に一歩を踏み出した場面で、本当に良かったと思いました。この欲求を糧に、このどん底からの復活劇があるのかも、、、と!これは例えば村田沙耶香の『コンビニ人間』の主人公も「やりたいことがない」ような人でしたが、最後に「自分にはコンビニがある」と、コンビニで働くことに使命を見つけ、前に進めるようになりました。これはとても良いシーンでした。その瞬間に似た、光を少し感じました。(でも、結局「人間失格」はどん底まで落ちていくだけの話でしたが。。タイトル通りの人間失格でした。)逆に言うと、世界99の空子はそれさえなく、最後までやりたいことがなく生きていく。めんどくさいことから逃げて生きていく。ただそれだけの人生だった。この『人間失格』の主人公も、一瞬だけ漫画の欲求で動いた瞬間も少しだけありましたが、あとはやはり酒に溺れ、薬に溺れ、女に溺れ、何もできず、最後「人間失格だ」という結論で終わっていく。やりたいことがある人が最強目的もなくただ流されていく人生。確かに『世界99』や『人間失格』のような「自分がないような人」の話って一定の需要があるのかなと思いました。時代を越えて、話の表現の仕方も時代背景も全く違うのに、似たような構成が描かれている。興味深いです。例えば漫画「幽遊白書」の飛影は、特に目的もなく、「漂流するようにお前は生きる」と言われていました。それでも、目的を持とうとしていました。氷河の国を探すこと。妹を探すこと。「生まれてすぐ目的ができたことが嬉しかった」と言っていた。つまり、人には目的が必要なのだ。目的が削がれたように感じた飛影は、「ついに戦うことだけがお前に残り、お前はいかに死ぬかを考える」と言われます。「目的が無い」とはイコール死を考えることにつながるのかもしれません。そう考えると、人間失格の主人公はいつも死にたがっているのはごく自然です。趣味のせいで話がそれました。僕の結論はやはり「やりたいことがある人が最強」なのかなと思いました。やりたいことがないと断ることもできないし、「これがやりたい」と言うこともできない。前に進めない。善も悪も曖昧だけど、やりたいことがあればそれが軸になる。