今回は遠藤周作の『沈黙』という本を読んでみました。若い頃にこういった名作を読んでこなかったので、今さら取り戻そうと読んでいます 笑。以前、遠藤周作の『海と毒薬』を読んだことがあって、あれは胸に突き刺さるような重い話で非常にインパクトが大きかったのを覚えています。それ故に、今回はこの『沈黙』にチャレンジしようと思いました。沈黙:あらすじ『沈黙』はキリスト教の話で、島原の乱の後くらいの時代背景の中、キリスト教が禁止される流れの中で、キリスト教徒たちが踏み絵をされたり拷問されたりします。その中で、とあるポルトガル人のキリスト教で非常に有名な人が拷問を受け、棄教――宗教を捨てると書いて「棄教」ですね――させられたと。それに対して「そんなはずはない」「あの人がそんなことになるなんて」と、4人のポルトガル人がポルトガルから立ち上がり、日本に向かっていく、そういう話です。この4人のポルトガル人は日本に向かってきます。すでに日本では拷問や踏み絵が行われていることが分かっていたので、彼らはそういった運命を自分たちが辿ることも当然考えた上で向かっていきます。実際に日本にたどり着いても、ひどい目に遭ったり拷問されそうになったり、あるいは彼らを信じる農民たちが拷問にかけられたり死んだりします。「あなたが転ばなければ(宗教をやめなければ)、農民たちがひどい目に遭う」というようなことを言って農民たちを拷問し、「形だけでもいいから転んだと言ってくれ」と強要するような圧力を受けます。殺した方が手っ取り早いのに、それだと逆に信者たちは頑なになる。そうではなく、こういった司祭たちが「転んだ」ところを信者の農民たちに見せる必要がある、と。そのために拷問をします。そんな中で主人公のポルトガル人はどんどん心が弱っていきます。自分を信じて日本人のキリシタンたちがひどい拷問に遭い、そのまま死んでいく。その姿を見ながら、彼は「万が一……もちろん万一の話だが、もし神がいなかったならば」という恐ろしい想像をしてしまう。しかしこんな状況でも神は「沈黙」したまま。そんなことを繰り返しながら、信じ続けていた神を前にして、最終的には踏み絵をさせられ、転んでしまいます。周りの人が拷問される姿を見せられ、いろいろ説得を受ける中で、最後には転んでしまう。そういう話です。モヤモヤした読後感私はこの本を読んで、最初「何を感じたらいいんだろうか」という気持ちになりました。どんな感想を持ったらいいのか正直分からない、というのが最初の感想でした。とてもモヤモヤする感覚。。もし明確に「宗教はダメだ」とか「いい」とか、「拷問はダメだ」とか、そういうテーマがはっきり書かれていたら分かりやすかったのですが、この本はそういう立場では書かれていないように見えるんですよね。布教についてもう一つ、僕が分からなかったのは、僕自身がキリスト教を信仰していない、特に宗教を持たない立場なので、この主人公のポルトガル人の行為を本当の意味で理解できない、ということでした。なぜここまでして布教をしなければならないのか、それがとても分からなかったのです。日本では、もともと信長の時代にはキリスト教も受け入れられていた。しかしキリスト教禁止の流れになり、島原の乱でも何万人も殺されるような国になった。そのような状態の中で、あえて布教しに行く必要があるのか。行かなければ農民たちも拷問されずに済むし、宣教師自身も苦しまなくて済み、本国で好きな宗教を信じて幸せに暮らせるのではないか……。そう思ってしまうんですよね。布教とは一体何なのだろうか、と。「ピダハン」の言語学やダニエルも宣教師そこで思い出したのが、ピダハンの本です。これは現代の実話で、ピダハンはアマゾン奥地に住む少数民族です。言語学者のダニエルが、家族全員――まだ小さな子供3人も連れてアマゾン奥地に行き、マラリアにかかったり死にかけながらも誰も知らない難しいピダハン語をゼロから学び、現地で生活し文化を理解するところまで行きました。彼がそこまでやった理由は、言語学者としての使命だけでなく、敬虔なキリスト教徒で宣教師だったから。言語を学んだ後に宗教を伝えるためでした。最初にその本を読んだときは「言語学者だから研究のためにここまで頑張ったんだろう」と思いましたが、それでもマラリアにかかってまでやる必要があるのか、まだオムツも外れないような年齢の小さい子供たちを連れて家族全員で行く必要があったのか……という気持ちがありました。でももしかしたら「宣教師」だからそこまでできたのか、と。「宣教師」とはもしかしてそういうものなのかと、この『沈黙』を読んで改めて思いました。あらゆるリスクや苦しみを超えても布教をする。それがキリスト教徒や宣教師にとっては当然のことなのかもしれない。しかし、ピダハンの話では最終的にダニエルはピダハンの文化に影響されすぎて神を捨ててしまった。結果、信じられないことに、家族は崩壊し離れ離れになってしまった。その話を聞いたとき、マラリアや過酷な環境を共に乗り越えた絆の強い家族が、宗教を捨てる程度のことで離れ離れになるなんて、と衝撃を受けました。でもこの沈黙を読んで初めて、キリスト教を棄教するとはそれほど重いことなのかもしれない、と理解できました。ダニエルの奥さんもキリスト教徒で、それゆえに宣教師の使命としてダニエルと共に家族全員でアマゾンの奥地へ言ったのか。それゆえに、ダニエルの棄教を許せなかったのか。と。『沈黙』の中でも、どんな拷問を受けても転ばないキリシタンたちがたくさん登場しました。真に信仰する者にとって、それが当たり前なのかもしれない。もしそれが真実なら、なるほど……これは恐ろしいことだと思いました。そして幕府がそれを恐れたのも、もしかしたらそういう理由なのかもしれない。そう感じました。布教と推し活この本はカフェで読んでましたが、読了直後に、モヤモヤした気持ちだったのでこの本の感想と、布教ってする意味はあるのか、という話をカフェの店員さんたちにしてみました。するととある店員の女の子は『「推し活」みたいなもんじゃないですか?』と言いました。推し活。。だいぶライトなイメージになったな、、、でもそうかも。逆に腹落ちするかも。自分がファンになった何か、僕の場合は好きな漫画や遊びだとして、それを誰かに「全力で伝えたい」と思う心は、確かに誰にも止められない。好きな漫画や本を全力で布教する気持ちは紛れもなく確かにある。そのパワーは凄まじい。そして、それを踏み躙る相手がいるのなら、例えば僕の好きな漫画を目の前におき「これを踏め」と「踏み漫画」をする輩がいるのなら、徹底して反抗したい気持ちになるだろう。たとえこの身が滅びても徹底抗戦したい、と思うだろう。それの最たるものがこういう活動なのか、、、もしれない。(ちょっと怒られそうだな、、、この辺にしておこう 笑)