今回は、小泉悠さんの『情報分析力』を読んで感じたことをまとめていきます。私自身、普段はアプリ開発の仕事をしているのですが、情報収集や意思決定の質を上げるという点で、興味深いと思い手に取りました。特に印象的だったポイントをいくつかご紹介します。この本、タイトルのとおり「情報をどう分析するか?」というテーマなんですが、著者はロシア研究を専門にしている方で、国際情勢のリアルな題材を通して、具体的な分析の技術や心得を伝えてくれます。読んでいて思ったのは、「ああ、これこそが“地に足のついた分析”なんだな」という感覚でした。ダイバーシティの重要性ちょっとこの本の本題からは外れるんですが、この本で一番共感できた部分はここでした。この著者は2005年当時、大学院でロシア軍事を専攻したそうです。「え、なんで?」って常に言われたそうです。当時のロシア軍事は冷戦も終結しロシアの軍事に対して重要性が低くなっていたからです。そんな中、特に理由もなくなんとなく面白そうだから、という理由でこの著者は研究をはじめ今に至るそうです。ですが、結果、ロシアとジョージアの間で戦争が起き、2014年にはウクライナ領のクリミア半島の占領でドンバスでも紛争、その後2015年以降に シリアへの軍事介入などなど、、、そして今のウクライナの件。国際的な重要度はめちゃくちゃ上がっています。実際、彼は仕事に困ることはなかったそうです。そして、同業者はほとんどいない状態だそうです。さらに近くの韓国・台湾などにも出張したそうですが、それらの国でも同様に研究している人がほとんどいない状況だそうです。つまり、こういう「変わった人」、いうなれば「変な人」がなんか興味を持って普通の人がやらないような研究をしている、、、って大事なんですよね。普通の人がやらないマニアックなことをしているという状況は、社会にとってのリスクヘッジになっている。ということです。でもそれが必要かどうかは誰にも予言できない。なので、ダイバーシティなチームが、国が、生物が強い、っていうのはそういうことなんだろうな、と思います。注目すべきは「可能行動」本題の情報分析の話に戻ります。たとえば、ロシアのウクライナ侵攻に関する予測について。著者は「プーチンが本当に戦争を始めるかどうかは分からない。しかし、その気になれば非常に大規模な戦争を始められるだけの能力が整いつつある」と分析していたそうです。これは、「意図」ではなく「能力」を見るという考え方ですね。プーチンが本当に戦争を始めるかなんて誰にも分からない。けれど、軍隊の動きや物資の状況から「可能行動」を読み取ることはできる。「占い師」にならず、冷静に「今、何が可能か?」に注目する。これはまさに、占い師ではなく分析者としての姿勢だと思いました。面積読みで「相場感」をつかむもう一つ面白かったのが、「面積読み」という手法です。これは、新聞の扱い量──つまり記事の“面積(文字数)”を分析することで、世の中の関心の変化や温度感を測るというもの。同じ国の特定の記事を毎日見ることで、取り扱う量が少なくなってくるとそれが重要視されなくなってきていて、多くなってくると重要だと思っている、などの分析です。また、日本では北方領土のことが面積大きく報道されていても、ロシア側のメディアではほとんど話題になっていない。そういった違いから、「その国がどの問題をどれくらい重視しているのか」を見る、といった方法だとか。具体論を語れるかどうかが分析力のカギフワッとした情報を語るのではなく、データや具体例で語れるかが重要だという話にも共感しました。「〇〇の国はこういう国だ」というだけだとどこかで聞き齧っただけの常用でしかなく、それを元に自分でもっと調べて、「〇〇の国はこういう国だ。10年間の輸出データを見ると〇〇が増えていて、〇〇に関するものは・・・」とか、そういった具体性があると説得力が段違いだと。また、現地に行って得る情報(足で稼ぐ)も大切で、行かなければわからない構造や雰囲気、現地の人の発言を実感する重要性も語られていました。これはそうだと思うので、私も現地に足を運べるチャンスがあればモノグサにならず移動をしていくは重要だと思いました。以前「移動する人はうまくいく」という本も読みましたが、私はリモートで仕事しててあまり移動しないタイプですが、移動はやはり大事ですね。機会があればどこでも行くようにしよう。アウトプットできないのはインプット不足かもアウトプットができないときは、インプットが足りてないという考え方。自分の頭が悪いと嘆く前にインプットを増やしてみよう、と。また、人にうまくアウトプットできない旨を人に話してみるのもいいと言っています。人に話してみて、素直に「分からない」と言うことで、新しい気づきが得られる。アウトプットしながら整理するって、やっぱり大事なんですよね。でも、自分に変にプライドがあったりして人に話さなかったりすると良くない、と言っています。確かに。素直に悩みは人に話しましょう。「事情通」で終わらないために「事情通で終わってはいけない」という指摘も興味深かったです。これは本当に耳が痛い話です。たとえば何かの質問をしても、延々と情報だけが返ってきて、結局「で、あなたはどう思うの?」と聞くとまた情報が山のように返ってくる──こういう「情報はあるけど分析がない」人、確かにいますよね。自分もそうならないように気をつけないといけないですね。著者は、これはアウトプットの訓練をしていないからだと言っています。書くことに慣れていないとできないことだ、と。つまり、文章を書いたり、人に話したりして「自分の頭で考える・整理する」という作業を経ていないと、情報を並べるだけになってしまう。これは本当にその通りだと思いました。私自身、いまこうして読書感想を書いているのも、小さいながらも分析の練習になってるかもしれないですね。ただの情報を羅列するだけではなく「分析結果」を伝えられるようにしたいですね。「できるようになってから」が一番危ない最後に、もう一つ印象的だったのは、「できるようになってからが一番危ない」という話です。これは運転免許取得者が少し慣れてきた1〜2年目が一番事故を起こしやすいという話と似ていて、情報分析もある程度慣れてくると、慢心してしまって見落としや判断ミスをしてしまうことがあるという警鐘です。これは情報分析だけに限らず、なんでもそうですよね。私自身、プロジェクトマネジメントやノーコードのアプリ開発などで、つい「慣れてきて」油断してしまう...というのは危険ですよね。やっぱり「初心に帰ること」って本当に大切ですよね。「自分の考えは古くなっていないか?」「今のやり方が最適か?」と、常に見直してキャッチアップしていく。これは情報分析に限らず、どんな仕事でも同じだなと、改めて感じました。偏りを自覚したうえで、フェアに偏れ「分析対象に同調しすぎて偏ってしまう」というリスクについての話も面白かったです。相手の立場で考えることを「分析対象のエミュレーターを持つ」ことが重要だと言っています。しかし、重要だけど、同化しすぎるとエミュレータのスイッチがきれなくなるリスクがある。例えばその国の偏った思想の方が正しいのではと思ってします。筆者曰く、ロシアの考えは偏りがある。しかしウクライナも偏ってるし、もちろん西側もグローバルサウスもそれぞれの偏りがある、と言っています。それに対し例えば「長期主義」という考え方がある、と。 長期主義という考え方では 千年とか一万年とかのスパンで、人類の利益を考えて物事を判断すべきだというものです。もし長期主義で考えるなら、ウクライナがロシアに抵抗を続けると核戦争のリスクが高まって人類が破滅するかもしれないため、早く降伏すべきだという結論が導き出されてしまうそうです。という話を書いた上でこの著者が言っているのは、この情報分析者である著者は当然神様ではないしAIでも宇宙人でもない。一万年後まで生きるわけでもない。さらに自分はロシア人でもないし、自分は日本の文部科学省から給料をもらい、日本の医療保険に世話にもなり。将来は日本政府から年金を受け取ることになる、という人なので「情報分析の目的は、この先何年かの日本に利益になるものではならない」という前提で分析する、と言っています。つまり、自分が偏っていることを認識した上で、情報分析を行うと。逆に、神の視点で情報分析を行うのは公平ではなく、それは思い上がりだ、と言っているのが、非常に興味深いと思いました。「自分は日本で生活している日本人である」という前提を持って、自分の偏りを自覚した上で分析するという姿勢が、すごく誠実で印象的でした。個人的には、いつかは完全にフェアな視点で、神の視点で分析を行える世界にしたい、と思っていますが、それが現時点では不可能なのも事実。まさにAIがそこまでいけば可能だと思うんですが、そこに到達するにはユヴァル・ノア・ハラリさんの最新の著書「NEXUS 情報の人類史」につながるAIをどう制御するかの問題が立ち塞がるんでしょうね。情報分析力:まとめ『情報分析力』は、私たちが日々の情報にどう向き合い、どう整理し、どう判断していくかを改めて考えさせられる一冊でした。分析に「正解」はないけれど、自分の立ち位置や偏りを意識することで、より誠実な判断ができるようになる。そんな姿勢を学べた気がします。