今回はオードリー・タンの『私はこう思考する』という本を読んでみたので、その感想を書いていきたいと思います。全体的な印象として、オードリー・タンの言っていることはやっぱりすごく共感できるなと感じました。読んでいて、「ああ、わかるなぁ」と思うところが多かったです。テストを白紙で出すオードリー・タンたとえば、序盤で彼が語っていた「直線的な教育の束縛から逃れることが大事」という考え方。これがすごく印象に残っています。彼自身、中学の途中から独学で学ぶようになっていて、普通の人とは少し違うキャリアを歩んでいるんですが、その中でも特に「中学2年生になる頃には成績に対する考え方が180度変わっていた」と書いてありました。どういうことかというと、順位とか成績のプレッシャーがあると、自分が本当に進むべき方向がわからなくなると。逆にそのプレッシャーから解放されて、初めて「自分が本当に何をやりたいのか」が見えてくる。順位というのは他人がつけるものであって、それにとらわれている限り、自分の道ではなく、他人の示したレールの上を歩いているだけだ、というようなことを言っていました。だから彼はそのプレッシャーから逃れるために、答案を白紙で出すようになったそうなんですよね。順位争いに加わること自体をやめてしまった。いやー、カッコいい、、、!いやーでも、オードリー・タンそもそも天才だからそれをやっても認められるけど、我々がやったら「ただのサボり」とか「怠けてるだけ」みたいになりますよね。。羨ましいと思ってしまう。。SF小説と哲学、そしてゲームの話次に印象的だったのが、オードリー・タンがSF小説や哲学についてかなり語っているところです。彼は哲学がすごく重要だと考えていて、若い頃からさまざまな哲学書を読んで勉強していたそうです。それに加えて、SF小説もまた大事だと語っていて、この本の中でもいくつかの作品が紹介されていました。本の中で本を紹介するのをホントやめてもらいたい。。。また積読が増えました笑さらに、オードリー・タンはゲームもけっこうやっていたそうで、中でも『シヴィライゼーション(Civilization)』にめちゃくちゃハマっていたらしいんです。僕も昔ちょっとだけやったことがあるんですが、その話を読んだらまたやりたくなってきてしまいました。追記:勢いでSwitchのシビライゼーションを買っちゃった。。。AIは神でも悪魔でもなく、成長していく存在もう一つ面白かったのが、AIについてのオードリー・タンのコメントですね。彼は、SF小説に登場するAIの多くが、極端に描かれすぎていると指摘しています。つまり、大半のAIは「癇癪を起こす子ども」か「全知全能の神」のどちらかとして描かれていて、その中間の段階がすっぽり抜け落ちている、と。でも現実には、AIにも「3歳〜4歳くらいの子ども」の時期があって、そこから徐々に「30〜40歳の大人」へと社会的に成長していくような過程が必要だ、ということを言ってるんですよね。それをちゃんと考えている人が少ない、ということに対して、オードリー・タンはある種の危機感を抱いているわけです。これは本当に確かにな、と思いました。AIって、最初から最後まで完璧な存在なわけでもなく、かといって最初から最後まで愚かな存在でもない。少しずつ成熟していくものだという前提に立たなきゃいけないんですよね。つまり、AIと社会が共にゆっくり成長していくことが重要で、その過程で問題点を見つけて、改善していけばいい。にもかかわらず、AIを「神のように崇める」か「悪魔のように忌み嫌う」か、みたいな二極化した見方をしてしまうと、結果としてAIを扱う権力が一部の人間に集中してしまう。これは非常に危ういことだと。この「共に成長していく」という考え方、本当に面白いなと思いました。どうしても、僕も含めて、極端に振りたくなってしまうんですよね。「AIは最高にすごい!」とか「AIは全然ダメだ!」とか。でも、そうじゃなくて、AIと共存しながら、一緒に成長させていくという視点がすごく大事なんだと、改めて思いました。スタートアップより中小企業的?オードリー・タンの経営哲学彼が若い頃、会社を経営していたときに、「大口の外部投資を受け入れるべきかどうか」が最大の争点になったと語られています。スタートアップというと、普通は「スピード重視で急成長を狙い、成功すれば高いROI(投資利益率)を目指す」というのがセオリーですよね。投資を受けて、一気にスケールアップするのが当たり前ですよね。ところが、オードリー・タンはそういう進め方に共感できなかったそうです。彼の考え方は、「単に投資資本を集めることが目的ではなく、自分たちの理念に共感し、支えてくれる出資者を探すべきだ」というもの。さらに「IPOを目指すよりも、自分たちと同じ理念を持つ会社と合併して、より大きなグループの中で一緒に会社を守っていくほうがいい」と。これって、一般的なスタートアップ的な価値観とは一線を画すものですよね。オードリー・タンにとって大事なのは、短期間で高収益を上げることではなく、永続的に技術開発を続けること。彼はむしろ、伝統的な中小企業のように、まずは経営の安定を目指して、そこから丁寧に技術を育てていくべきだと考えていたそうです。すごく興味深い視点だなと思いました。弊社の今後の進め方の参考にもなるます。判断を保留するという思考法 ― 睡眠記憶法とインプットの姿勢彼は「眠る前に正しく読めば記憶に残る」と言っていて、ちゃんと眠る前に読んで、ちゃんと睡眠を取れば、夢の中でその内容を処理してくれると。……本当にそんなことができるのかは正直ちょっと疑問なんですが、まあそれは置いておいて(笑)、僕がここで一番面白いなと思ったのは、そのために必要な「読み方」の姿勢なんですよね。オードリー・タンはこう言っています。「最初から最後まで集中して読むことが大事。読みながら内容について判断したり、頭の中で自分の観点を整理したりしてはいけない」と。これ、めちゃくちゃ難しいです!僕は1行、いや1ページ読むごとに感想を持ってしまうタイプで、「これはちょっと考え方違うな」とか、「実際にやるならどうすればいいのか」とか思っちゃう。あるいはすぐGoogleで検索したり、AIに聞いてみたりしながら本を読んでるわけで(笑)。「読む」というより「突っ込みを入れながら眺めてる」というのが正しい状態。でも、彼の言うことはシンプルで、「まずはインプットに徹するべきだ」と。判断を下さないことが一番難しいけれど、そこを乗り越えないと、睡眠中に学べる可能性も限りなく低い。睡眠記憶法の成功には“流れを止めずに一気に読むこと”が条件だとまで言っています。そして、それを実践するには訓練が必要なんだと。この話で特にグサッと刺さったのは、「読みながら筆者に反論していると、結局は自分のもともとの考えを強化しているにすぎない」というところ。つまり、自分と違う意見の本を読んでいるつもりでも、それに反発し続けている限り、自分の主観がどんどん強くなるだけなんですよね。せっかくの違う視点を、まったく吸収できていないかもしれない。これ、恐ろしい話だなと思いました。僕自身、まさにそういう読み方をしていた気がします。だから彼は「まずは批判を我慢して、ひたすらインプットに徹することで、本と筆者を心の中に留め、より多角的に物事を考えられるようになる」と言うわけです。そして、それを寝る前にやることで、眠っている間に自我が比較的弱まるため、一つの物事をより多角的に見ることができるようになる。いやー、面白いですよね。この姿勢って、本を読むときだけじゃなく、人と話すときにも重要だという話にもつながります。相手の話を、途中で止めずに、判断を下さずに、最後まで聞く。心を完全に開放して話を聞く。それがトレーニングになると。相手の話を先回りして「あなたが言いたいことはこうですね」と勝手に整理してあげるようなことはしてはいけない。……僕、やっちゃってますね完全に(笑)。オードリー・タンは最長で1時間も判断を下さずに話を聞き続けられるそうで、これはもう信じられないくらいすごいことだと思います。この章の内容は、今回の本の中で一番勉強になった部分かもしれません。僕にとっては、かなり大きな気づきでした。興味の赴くままに学ぶということ ― 「役に立たない人」に育てる。最後に最も刺さった話は、「役に立つからではなく、興味の赴くままに学ぶ」という考え方です。オードリー・タンは「子どもたちを“役に立たない人”に育てたい」とまで言っています。今はAIの時代です。今「役に立つ」と思われている知識やスキルも、1年後にはテクノロジーにとって変わられて、その業界ごと消滅しているかもしれない。そんな時代ですよね。多くの人がAIの進化に感動しながら、同時に「自分の仕事がなくなるのでは」「今何を学べばいいのか分からない」と感じている。僕自身もそうです。どの技術に投資して、どんな知識を身につければ将来の会社のためになるのか、正直分からない。AIツールの使い方を覚えても、どんどん新しいツールが出てきて、覚えたコストが無駄になる。そんなもやもやした気持ちが、ここ数ヶ月ずっとあります。オードリー・タンはこう言います。「長い時間を費やして学んだ知識が、学校を卒業した途端に無駄になってしまうとしたら、学生たちの学ぶ意欲は大きく損なわれる」と。だから「早い段階で用途を決めてしまうべきではない」と。「役に立たない人」というのは、言い換えると「道具にならない人」です。金槌は叩けるから便利で、コンピューターは計算できるから役に立つ。でも人間は、道具ではない。だから、役に立つことばかりに価値を置いて学ぶのは、そもそも人間としての学びではない。なるほど、、、と思います。「我々はなぜ学ぶのか」「なぜ今の若者は学びに挫折を感じやすいのか」。その答えの一つがここにある、と。僕もまさに、今の役に立つことばかりを探して、どれを選ぶべきか迷ってばかりいました。でも、ただ「好き」「面白い」と思えることを学ぶこと。それこそが、人としての学びであり、生きるエネルギーになる。彼は「子どもたちには夢中になれることを見つける手助けをすべきだ」と言っています。そして、やがて自分の興味と社会の需要が交わる地点が見つかったとき、そこに共通の価値が生まれる。そうなれば、社会への親しみも自然と生まれて、反社会的な人間にはならない。これは、すごくしっくりくる考え方ですよね。親は「指導する」という意識を捨てて、模範解答を用意するのではなく、「子どもと討論する」のが良いと書かれています。本当にそうだなと思います。押しつけるのではなく、一緒に考える。これからの教育って、そういうものになっていくべきなんでしょうね。未来の本屋について最後に、未来の本屋についてもちょっと話していました。将来本屋を作りたいという無謀な夢を持ってる私も少し興味を持ちました。オードリー・タンは「本屋の定義が変わる」と言っています。未来の本屋は「みんなで作り上げる場所」になると。これは興味深いです。読書を愛する人たちが集まって、創作を通じて交流し、感想をシェアし合えるような空間。本はただの知識の集積じゃなく、人と人とをつなぐ媒体なんだと。ぜひ作ってみたいものです。